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現実は不条理劇を超えてしまった [ゲーム]

昔、雑誌に”ハロルド・ピンターの不条理劇”を観に行った男子高校生の感想が掲載
されていて、「劇の途中で、オバサン達が入って来て自分達の席を大声で捜し始め、
そうでなくても難解な劇なのに、ますます訳が解らなくなってしまった」という。
正に不条理を身をもって体験できたので、若者に同情すると共に貴重な体験が出来て
羨ましく思った。もっとも、オバサンは不条理な存在なので劇など観に行かずとも、
どこでも不条理を体験可能。又、オバサンを敵にまわしてしまったが、映画館などで
後部席でおしゃべりされると、腹立たしい。不条理というより理不尽と言うべきか?



不条理と理不尽の違いが気になったので調べてみたら、不条理は筋道が立たない事、
理不尽は強い力を持った者が一方的に主張を通す事、という明快な回答があったが、
不条理には、漢字通りにルール無用の振舞い、という意味合いも強いと思う。

夕刊の記事で別役実氏が嘆いていた。「社会や現実が不条理劇以上になってくると、
劇がやりにくくなる」「演劇で不条理を指摘する喜びが失われていく感じがする」

笑ってしまった。”事実は小説より奇なり”という言葉があるが、現実は作家達の
想像をはるかに超えてしまった。鴻上尚史氏は「そのお陰で、昔は受けていた劇に
観客が拒否反応を示すようになった。何故なら不条理劇はある説明出来ないものに
ジャンプ出来る魅力があったが、オーム真理教事件や度重なる大震災により、訳の
解らないものを拒否する世の中になった」と言っている。もう、現実は不条理とか
理不尽なもので溢れているのだから、わざわざお金を払って観る必要は無いからだ。



今話題の”ポケモンNO”もとい”GO”だった。(わざとやってます、って余計)
私も早速入れました。まだ家から出ていないので、ゲットしたのはお一人様だけだ。
恐れ多くて1匹なんて呼べない。それにしても”ゲット”という言葉を流行らせた
このゲームは凄いなあ、と感心する。”捕獲”じゃゲームの魅力が半減してしまう。
思わず家から飛び出しそうになった。確かにAR技術をうまく取り入れたゲームだ
と思う。ゲームの功罪が問われているがゲームにだけ罪がある訳ではなくゲーマー
にも罪はある。要はゲーマーの遊び方次第で、功にも罪にもなってしまうのだろう。
私はゲームが大好きなのでとりあえず遊んで見ようと思う。(老人だがまだまだ若い)

私がこのゲームで不思議に思うのが、立ち入り禁止場所が解っているならば、そこ
にアイテムやポケモンを出現させなければ良いではないか?という事。不思議だ。
何か意図があるのだろうか?それにしても人を操れるゲームなので恐ろしくなる。
参議院選挙の投票所にでも人が集まるようにしておいたら、投票率も上がったのに。
東京都知事選挙では、是非そういう仕組みをお願いしたいものだ。

街中をスマフォ片手に闊歩している人を、知らない人が観たら何とおもうのだろう?
突然、不条理劇を観せられているような錯覚におちいってしまわないだろうか?
赤信号を無視して闊歩している不条理なゲーマーを、車ではねて死亡させてしまった
ドライバーは逮捕された時に、「理不尽だ!」と叫ぶような気がする。

全世界でこのゲームに夢中になっているゲーマーの不条理を思えば、トランプ氏の
不条理などものの数ではないのだろう。ゲームは不条理劇を超えてしまった現実をも
超えてしまったのだろう。このゲームに熱狂している人々は現実に背を向けている様
に思う。ゲームに飽きた時、現実がより不条理になっていなければ良いが無理だろう。



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