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人生はポケモンGOに似ている [ゲーム]

私の”ポケモンGO!”のレベルは4なので、このゲームを語れる程遊んでいない。
けれどこのゲームを遊んで見て、何となく人生に似ているなあ、と思いついた次第。

孫が遊びに来たので、近くの航空公園まで娘と出かけた。孫と遊ぶよりも、ゲーム
を遊ぶ為だった。家の近くでは全然捕まらなかったポケモンが面白い様にゲット出
来るので夢中になっていたら、娘に「もっと孫と遊んで!」と怒られてしまった。
それよりも、孫をゲームに誘い込もうとしてスマフォの画面を見せたけれど、4歳
の男の子には少し早いのか、見向きもせずに水遊びに夢中だった。

孫が水遊びや砂場遊びに夢中になるのは当たり前、だってリアルの方が面白いから。
彼はバーチャルの世界などで遊んでいる暇などない。リアルだけで彼は十分楽しん
でいて、羨ましいと思う。お菓子を食べているのを眺めていても、本当に美味しそ
うに食べている。昨日の夕食を食べたかどうか?も思い出せないような私と違い、
彼は体験しているすべての事に、驚き、喜び、泣いて、怒り、そして覚えている。
そんな孫でも、やがてゲームに夢中になるのだろう。リアルでは味わえない感動を
味わう為に。度を過ぎると引き籠りになってしまうけれど、誰もが通る道だろう。



このゲームは引き籠りを外に引っ張り出す目的もあるようで、確かに効果がある。
部屋に引き籠っていても、このゲームの最大の魅了であるポケモンが収集出来ない。
何故、人は収集する事に快感を覚えるのだろう?収集するものは、何もポケモンと
は限らない。最近、数多くのブログを拝見していて感じたのだけれど、人は自分の
興味がある物を収集したいのではあるまいか?目的は自分の心を満たす為に。
ある物とは、花、食べ物、建物、自然、動物、芸術、生活、人、きりが無いけれど。

昔読んだ本に、”人は何かを失くして生まれて来る。生きるとはそれをさがす事”
という言葉があったが、成る程そうかもしれないなあ、と最近思うようになった。

”一期一会”という諺があるが、新聞の投書に”三つの偶然に感謝”という見出し
で、「最近この言葉の重みが身に染みてきた」という記事があった。難病と闘って
おいでの51歳主婦からの投稿で、「やがて人は死に、忘れられてしまうけれども、
生きている間に、同じ時代に同じ場所で関わり合うという三つの偶然が重なって、
初めて人と人との出会いが生まれる、これは凄い事だ」「家で療養生活を送らねば
ならないので、家を出て新しい出会いの機会が激減した」「今までの出会いに感謝
し、更なる出会いに期待し、心穏やかに過ごせれば、それが今の私の幸せ」とある。



昔、仕事をしていた時は顔が広い事が財産だった。技術職だったが小さな会社なの
で営業も兼ねていた。私はお会いする方に、面白い奴だと思って貰い、頻繁に出入
りさせて頂く為に、何時も笑い噺を何話か用意しておいた。鉄板な話しは、「ある
会社を訪問して初めてお会いした方に、働いていらしゃる方はどの位おいでですか?
と訊ねると、相手は暫く考えて、2割ぐらいいれば良い方ですかね、と答えた」
大抵爆笑して頂き、その場が和やかになった。ある会社の社長が「技術の不足は話
術でカバー」とおっしゃっていたが、その通りだと思う。勿論、冗談だと思ってい
たら本当に技術が無かった、というオチがつくのだけれど。こういう社長が知り合
いにいるという事が、私の財産だと思うし、私が生きて来た証であると考えている。

相手がポケモンではなく、人が相手ではなかなか出会うのは難しい。
それもピカチュウクラスともなると、滅多に出会えない。けれど、何時か出会える
のではないか?と思い人は生きているような気がする。今、若者にも現実は辛くて
バーチャルに依存したくなるのも解るのだが、所詮ゲームなのだ。ゲームを通して
人と出会えるチャンスもあるので、それを逃して欲しくない。私も出会いを求めて
外に出ようと思うが、徘徊老人と間違われて救急車に捕獲されてしまいそうで怖い。



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