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老人には短針だけあれば良い [老後]

昨日6月10日は”時の記念日”だった。夜のNHKの”ニュースウオッチ9”で
時計が直せなくなるというニュースを放送するというので、気になるので観た。

午後9時30分丁度にそのニュースが放送され始めた。男女2人のアナウンサーの
背後にある大きなスクリーンにアナログ時計が写し出されていた、が何か変だ。
午後9時30分20秒ならば、短い針は9と10の間、長い針は6から7へ少し
寄っている。そして秒針は4にある筈なのに、何と長い針は6の位置にある。
午後9時31分になったら、長い針は6から1分だけずれた目盛りを指していた。
つまり、長い針はアナログではなくデジタルの表現で分の目盛りを指していた。
不自然なアナログ時計だったので、私でも気がついたのだと思う。
短い針も9を指していたら、もっと面白かっただろうに残念でならない。



ニュースの内容は、アナログ時計の修理に必要な部品がスイスから供給されなく
なり、部品を手作りして修理している何人かの時計修理技能士の紹介だった。
取材を受けた時計修理技能士達は当然、このニュースを観たと思うのだが、
冒頭のニュース紹介に出て来たアナログデジタル混在の時計に呆れたと思う。
ニュースを放送するなら、もう少し神経を使って欲しい。ましてやNHKだ。

アナログ時計の良さは針が中途半端な位置にある事に良さがあるのだと思う。
アナログ時計に秒針は要らないのかも知れない。もっと言えば、長針も要らない。
時計店で購入した際に秒針と長針を取ってくれ、と店に頼んだ客がいたらしい。
こういう人は時間に追われないので、優雅な生活を送っているような気がする。

私のスマートフォンは、アイコンを用途別に5画面に別けてある。
ニュースや音楽のマルチメディア関係、乗換え案内や地図等の外出用、
電卓やボイスレコーダー等の道具、LINEやSkypeのSNS関係、
そして普段表示している、アナログ時計、カレンダー、バッテリー残量の画面だ。
腕時計は普段はつけない。何故ならスマフォで十分日常生活に間に合うからだ。



以前会社に毎日通勤していた頃は違っていて、秒単位で時刻を知りたかった。
電車の発車時刻まで、後何秒あるのか?それによっては階段をかけおりたっけ。
(それにしても、日本の交通機関が時間を正確に守って運用している事に驚く。)
なので、ディジタル電波腕時計をつけていたが、重いので会社では外していた。
今の腕時計は、時刻を知るというよりもアクセサリーに近いのではあるまいか?

このスマフォのアナログ時計だが、以前は秒針までは表示できないやつだった。
秒針まで表示できるものを捜して、入れ替えたがスマフォの動作が鈍くなった。
その上見ていると秒針が時々止まる。スマフォはこの春買い換えたばかりなのに。
時々さぼるアナログ時計は我が身を見るようで嫌気がさし、以前に戻した。

もう私には秒など必要なくて、短針さえあれば十分な生活になって来ている。
やがては曜日や月日も必要でなくなるのかな?とは思いたくないが来るのだろう。




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3世代同居は大きなお世話 [老後]

3世代同居促進の為に住宅のリフォームに国土交通省が補助金を出している。
2世帯とは言わずに3世代という言葉を使うのも、子供を意識させる為なのだろう。
政府の狙いは家族による老人の介護と子育てだ。少子化にも歯止めがかかると言う
が、出生率があがる根拠がどこにあるのか私には思いつかないのだけれど。

3世代同居の家とは、キッチン、トイレ、浴室、玄関のうち2種類以上が複数ある
家だ。本当に3世代同居しているのか?はプライバシーなので確認しないという。
耐久性にすぐれた住宅の新築やリフォームには最大165万円の補助金を支給。
ネットで調べていたら、この政策に大賛成の人がいたが工務店の社長だった。



かなり広い家でない限りリフォームは無理だろうし、そんな家に住んでいる人は
田舎暮らしか、お金持ちだろう。首都圏でこそ急務なのに、狭い土地に住んでいる
人にその程度の補助金では、せいぜい玄関をつけるぐらいだろうか?

私は息子と2世代同居、娘夫婦は車で1時間位の所に住んでいて1ヶ月に1度位
孫を連れて泊まりに来るが帰った後はホッとする。孫は来て良し帰ればなお良し。
息子が結婚して子供が出来れば3世代になるが、可能性は限りなく薄い。
何故なら息子はフリーター、結婚どころか女性にもあまり興味がないようだ。
そんな訳で、私は3世代同居を望まないし、今の所そうなる可能性もない。

3世代同居はお嫁さんが一番大変だと思う。昔、私は子供二人と狭いアパート
暮らしだったが、田舎から上京して来た3世代同居の姉や家内の義姉は、
「こんな暮らしが羨ましい」と言い、舅や姑がいない生活に憧れていた。
私が「我が家のチャイムはピンポ~ンでなくて、ビンボーって鳴るんですよ」と
言っても、「家などいらない、アパートでも良いから夫婦だけで住みたい」と言った。



田舎の兄は兄嫁の両親と自分達、子供夫婦と孫2人の4世代同居なので大変だ。
家が広いので多少救われてはいるが、大人が6人いるので気遣いで疲れている。

私が3世代同居を望まない訳は、立場は違うが各自の苦労を知っているからだ。
私だけではなく、多くの人は3世代同居を望まないのではないだろうか?
勿論3世代同居にはメリットが沢山あるが、誰かのメリットは誰かにデメリット。
家族なのでデメリットという考えはおかしいのかも知れないが、現実は厳しい。

私だって、介護のお世話になるようになったら考えが変るかも知れないけれど
自分だけの希望で3世代同居になってはならないし、ましてや政策では無い。

政府の発想が貧しい。老人介護と少子化対策に住居リフォーム補助金17億円だ。
伊勢志摩サミットの総事業費は600億円、使い捨てのプレスハウスは28億円。
果たして出した共同声明にこの費用に見合っただけの中身があったのだろうか?
この僅かなお金、施設や人材確保に使う方が有益だと思うが、焼け石に水だろう。



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老人に第六感は不要 [老後]

最近寝ながら見ている片手で持てるタブレットの字がかすんで読みにくくなった。
画面を拡大出来るHPは良いが、Youtubeなどはタイトルを拡大できない。
なので100円ショップで買った老眼鏡のお世話になる。早く寝ろという事か。

新聞を読むのに老眼鏡はいらないのに、何でかなと思う。字の大きさはほぼ同じ。
眼が疲れてくると、スマフォに入れた自作曲を聴きながら寝る。3時間分ある。
うっとり聞き惚れて寝てしまう、などという事は無くて欠点ばかり気になる。



そこで思ったのだが、眼は見にくくなるとすぐ気が付くが音はどうなんだろう?
多分高音が聴き取りにくくなるとおもうのだけれど、それに気がつくだろうか?
それ位ならまだ良いけれど、補聴器が必要になったらどうしよう。

そう考えると視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感が心配になって来た。
自覚症状があるのは視覚、聴覚だけか?残りは鈍くなっても気が付かない。
そして、老眼鏡、補聴器のように感覚の衰えを助けてくれる物が無い。
無くても平気なのかも知れない。生活するのにたいして困らないだろう。

でも、それは私だけの考えで他の人は味覚が一番だったりするかもしれない。
私が五感を大切な順番に並べてみると、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の順だ。
”無くなって初めて解る有りがたみ”、お金ではなくて、五感の話だった。



慌てて、薬局に走り目薬を購入した。目薬なんて何十年ぶりだろうか?
お酒を飲みながら目薬をさすと、目薬の味がする。眼と口が繋がっている証拠。
”眼から鼻へ抜ける”というが、口へ抜けている。利口を通り越して阿呆かな。

肴を味わいながらお酒を楽しむには味覚が不可欠なので、3番目にした。
何故、触覚を4番目にしたのか解らない。いや、本当に何となくです。
口臭や加齢臭に気が付かなければいけないのだけれど嗅覚は5番目になった。

霊感等の第六感があれば他の五感は要らない、って霊になれば何も要らないか。



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一日は24時間が疑問の毎日 [老後]

もう3月もあとわずかで、1年の4分の1が終わってしまう。あっという間だ。
小学生の時はこんな事は無かった。新学期が始まってから夏休みまで長かった。
ましてや学年が一つ進むなんて、気が遠くなるぐらい永く感じた思い出がある。

ところが今は違う。一日が24時間だとはとても思えない。されど24時間だ。
何故こんなに時が過ぎるのが早いか?を考えて見た。原因は毎日が日常だから。
毎日が日常と言う表現は変なんだけれど、感動の無い毎日を過ごしているから。



何故子供の時は時間が永かったというと、毎日にメリハリがあったからだ。
食べ物は勿論、勉強、友達、遊び等が毎日刺激的で記憶に残っている。
老人になった今はどうだ。昨日の夕食はなんだったっけ?誰と会ったかな?
日常に流されて、何の感動もなく生きている。今日は昨日の繰り返しの連続だ。

今日の新聞の悩み相談の投書に60歳の専業主婦の悩みが載っていた。
子育てを終えて無気力、無関心になってしまって料理さえ作りたくないと言う。
でも相談するだけまだましだ。自分を何とかしようとしているのだから。
新聞に投書するだけでも無気力ではないと思うので、多分大丈夫な人だろう。



問題はそんな悩みすらも持たない人だと思う。多分暮らしにも不自由していない。
不自由しているのならば、無気力でいられる訳が無く、毎日生きるのに必死だ。

そう考えると、豊かさや生き甲斐とは何なんだろう?と思ってしまう。

昔、貧しくても働けば働くほど豊かになっていった充実した時代が懐かしい。
そんな事をぼんやりと考えている自分こそ、大丈夫かな?と思うけれども。



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一年は365日? [老後]

齢をとるにつれ一年が短くなっている。昨年は本当に365日あったのだろうか?

原因は解っている。毎日に刺激も感動も初体験も無い決まりきった生活だから。
小学生の頃は学校の行事等も加わって一年が長く、何時一年が終わるのかと思った。

孫を見ていると良く解る。彼には全てが初体験、食べ物もそう、遊びや友達もそう。



プリンが好きでスーパーに行くとねだられて買う。嬉しくて振り回しぐちゃぐちゃ。
レジでは不良品なのでお取替えしますと言われるが、彼の責任なので勿論そのまま。
プリンにシールを貼って貰い、早く家に帰って食べる為に駆け足だ。羨ましい。

私などネットで買い物して品物が届いても2、3日ほおって置く事がある。
買い物したらカード会社から請求が来るが何の代金か解らない。カード会社のミス?
やっと何を買ったのか思い出し納得、でも本当に欲しかった品ならこうはならない。

物に限らず、人の名前、自分の言った事、やった事などすぐ忘れている。
齢をとるとはそういう事なのだと開き直るしかない。勿論謙虚を忘れずにだけれど。



ある男が眼は2つも要らない。老後の為に一つで暮らす事にして片目を目隠しした。
齢をとって、眼を交代したら知っている人が誰もいなかった。という笑い噺。

でも、我々はまだ使っていない眼を持っているのではないだろうか?

ブログの記事を毎日書くのが目標。ネタが無く苦しい時もあるが頭が活性化される。
いろんな事を思い出したり、今までとは別の見方を発見したり出来るので楽しい。
なので、ブログは読むだけでなく書いてみてはいかがでしょうか?お勧めします。

駄文でも構わない。このブログの駄文に較べれば、駄文などありません。


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怒りと悲しみ [老後]

昨日の続きというか、怒るという行為について考えてみた。
怒るという行為は、相手を思いやれば齢と共に少なくなって行く筈なんだけど。

私は怒った事が無い、と言えば嘘だがほとんど記憶に無い。
その代わりに、相手を怒らせた事は一杯ある。冗談です。
怒りよりも、悲しみが先にやってきてしまう。

齢を取ると怒りっぽくなるというが人によりけり。涙もろくなるのは人によらない。



でも、街で怒っている人を結構見かける。その姿は醜い。なので私は怒らない。

怒ったほうは忘れていても、怒られた側は一生忘れない。暴力と同じ。

書店でレジに並んでいたら、前のお爺さんが店員に上機嫌で話しかけていた。
若い女性店員は、仕方なく愛想笑いで対応してお釣りを渡したが、足りなかった。
すると先ほどまで上機嫌だったお爺さんが激怒。店員が誤りを詫びたら又上機嫌。
お爺さんの感情の動きの激しさに、見ていた周囲はしらけた。勿論、店員も。
このお爺さんは、ささいな事で激怒した自分を恥ずかしいと思わないんだろうな。



秋葉原のヤマギワだったかな?お店に入ったら、売り場の案内嬢が泣いている。
隣には店長が、もう勘弁してくれよ、という顔で中年男性に謝っていた。
ヤマギワは秋葉原にもう一店お店があり、案内嬢は間違えてそこを教えたらしい。
中年男性は、暑い中無駄足を踏ませたのに腹が立って案内嬢を責め立てたという事。
勿論案内嬢に非があるが、中年男性は謝罪以上にどうして欲しいのだろう?

”謝って済めば、警察は要らない”という言葉があるが、謝って済む事もある。

謝ると言えば、土下座というのがある。土下座は頭が床に着いていないと駄目。
中途半端に浮いてると、相手に足で頭を踏まれるとより被害が大きい。実体験?

老人が怒るのは駄目、そうでなくても老醜なのだから。
やさしく叱る、諭す、言い聞かせる、等が老人の役目だと思うのだが。



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モンスター老人 [老後]

中学生が老人に席を譲ろうとしたら”ふざけるな!”と恫喝された、という話。

”学校のマニュアル通りの行動、本当は嫌々譲っているんだろう!”と追い討ち。
この中学生は、”今までして来た私の行為、本当は相手に迷惑なのだろうか?”
と自問自答までしている。こんなひねくれた爺さん、私だけだと思っていたのに。

今朝の新聞の投書欄に載っていて、”どう思いますか?”の投書も載っていた。
勿論、中学生を励ましたり応援する投書ばかりで、私も中学生に非は無いと思う。
その投書欄に出てきた言葉が、”モンスター老人”。初めて聞いた。



YouTubeだったかな?
電車内で山歩き帰りの老人の男女数人が立っていた。
眼の前には茶髪のヤンキー風の若者の男女が数人座っていた。

”近頃の若い奴は老人を立たせ平気で座ってる”と爺さんが聞こえよがしに言う。
すると、茶髪の若者が”俺達はこれから夜勤で、立ちっぱなしで仕事なんだよ”
”貴方達は山歩きが出来る程足腰が丈夫なんだから、座らなくても良いだろう?”
と静かに言った。老人達は罰が悪くて次の駅で降りて行った。という話があった。

老人は若者を見下してしまう。自分は経験豊富だが若者は未熟と決め付けている。
何でなんだろう?齢なんて、努力しなくても毎年一つとる。中身が問題だろう。



齢をとると子供に帰って行く、と言われるが残念ながら子供にはある未来が無い。

私は席を譲られた事もあるが、譲った事もある。
譲られたら、”有難う”と座る事にしている。断ったら、相手の立つ瀬が無いので。

譲る時は、何も言わずに次の駅で降りる風を装い別の車両に移る。
この方法の欠点は、図々しいオバサンがいると水泡に帰してしまう事。

自分が良かれと思っても、中には怒る老人も居るだろう。でも、大切なのは自分。
相手次第で自分が変わってしまうのは嫌だ。自分が思った通りに生きれば良い。



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ロボジーとエレジー [老後]

私は見た目よりずっと若い。誕生日が2月29日なので15歳である。
調べてみたら、誕生日の24時間前で歳を数えるのでうるう年は歳に無関係。

子供の頃、兄弟喧嘩で兄に負ける度に、いつか兄の齢を越えてやると思ってた。

幼稚園児の孫に、「お婆ちゃんて何時死ぬの?」と聞かれた家内が激怒。
「美人薄命っていうから、3000年は大丈夫!」と私。火に油を注いでしまった。

昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。今日も買ってきた。



物忘れが激しいので、本のストーリーもすぐ忘れる。本は一冊あればいつも新刊。

夫婦で映画を観に行った。どちらか一人が50歳以上だと、料金が一人1000円。
ただ、窓口には夫婦で並ぶ規則とのこと。生憎家内はトイレに。(いつもそう!)
困っていると、窓口嬢「あちらのご婦人ですか?」。見ると、70過ぎのお婆さん。
シネマコンプレックスなので、ロビーには様々な年代の人が映画を観に来ていた。
私にはあの人がお似合い?癪なので、遠くの女子高生を指差し「あれがそう!」

電車内でつり革に掴まって本を読んでいた。突然目の前に座っていた若い女性が、
「すみません、気が付かなくて!お座りになりますか?」、私は「座りませんよ。」
シルバーシートの前だった。
その時はむっとしたが、相手の身になれば「ありがとう」と座るべきだったと思う。
電車内で席を譲られ、断っている風景を結構見かける。断られると立つ瀬が無い。
私でも席を譲ろうかと思う場面があり、その時は黙って次の駅で降りる振りをする。
このやり方は欠点もあって、図々しいオバチャンが座ってしまう事が度々。

大学生の頃、紀伊半島を一人旅した。ローカル列車に乗ったら、席はガラガラ。
赤ちゃんを連れた母親のお見合い席(4人掛け)に、わざわざ座った老人。
昼間なのに、酔っていた。色々、母親に話かけている。勿論、母親には迷惑な話。
老人が「今まで生きて来て心の支えになった曲が二曲ある。」
「一曲は同期の桜!今でも目を閉じるとその当時が蘇り、涙が止まらない!」
そして、「もう一曲は、黄色いさくらんぼ!」、目が点になった。
”湯の町エレジーとか、人生の哀歌じゃないんかい!”って突っ込みたくなる。
そして歌い出した。「わーかい娘は、うっふ~ん!」ゴールデンハーフバージョン。
さぞや幸福な人生だったろう。赤ちゃんがひきつけを起こさないか心配だった。
記事に間違いがないか調べてたら、”黄色いさくらんぼって何ですか?”の質問。
青いなー。黄色からピンク、そして赤、次に紫で、最後に茶色になる物です。



映画”たそがれ清兵衛”のワンシーン。真田広之が家に帰ってくる。
老婆「どなたはんでしたっけ?」、「あなたの息子でがんす!」
老婆役は北林谷栄、と思っていたが調べてみたら?知ってる人教えてください。

コンビニで買い物した客の合計金額が777円、「やった!」と千円札を出す。
店員も、「めずらしいですね!」とお釣りを333円渡した。との笑い話。
正しいお釣りは233円だと思っていたが、息子に話すと223円だと言う。
若い時は歩くコンピュータと言われていた私が、今は電池の切れた電卓。

最近、人に話す時は「前に話しをしたかも知れないが...」を必ずつける。
そうしないと、「その話は今回で3度目!」、「又、その話?」と言われる。
娘や息子には「為になる話なので、何度でも聞いたほうがいいぞ!」

映画「ロボジー」は御覧になりましたか?映画のエンドロールが秀逸です。
”ミッキー・カーチス”いや”五十嵐信次郎とシルバー人材センター”が
名曲”ミスター・ロボット”を熱唱する。英語の発音が最高!何処までギャグ?



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