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秋の味覚は芋と松茸だけじゃない [老後]

子供の頃は秋になると山に遊びに行った。目的は山栗とアケビで、結構美味しかっ
た。でも山栗はそう取れなかったので、里に降りて来て農家の栗畑を狙って怒られ
た。やはり栗はそう簡単に手に入らなかったが、母に茹でて貰って食べた味は今で
も忘れられない。私は現在所沢に住んでいるが、車で走っていると芋掘りののぼり
を良く見かける。サツマイモが2株で500円、サトイモが1株で400円とかの料金案
内があり、お金を払って迄も労働して芋を買うという事に私は奇妙な感じを受ける。
家が農家だったので、子供の頃はジャガイモ、サトイモ、サツマイモ堀を手伝わされ
た。芋堀など苦痛でしかなくて、何でこんな事にお金を払わなければならないの?
という思いしかない。お金を頂けるのならば、まあやってもいいかな?位の気持ちし
か無くて、ましてやお金を払ってまで嫌な作業をするという事が理解出来ないのだ。
そして作業がダサい、田舎臭いと心のどこかで思っている。昔、家内が幼稚園児の
長男を自転車に乗せて家に帰ろうとしていたら、農家の人に呼びとめられたという。
「これからTVの取材があるので、楽しく芋掘りをしている親子を演じてくれないだろ
うか?」と言われたという。私はこの話しを聞いて「余程、芋掘りする親子にピッタリ
の顔だったんだね」と言って大笑いをしてしまった。家内は「どうせ私は」と怒ったが。



育ちのせいなのだろう、柿などスーパーで買う気がしない。これが梨か葡萄やみか
んならば、買ってたべようかな?という気になる。けれども「柿を買って食べる?」と
いう発想が無い。何故ならば、田舎では柿などタダで幾らでも食べられた。この感
覚、例えば静岡のみかんや山梨の葡萄の県民に「その果物って、買ってでも食べ
たい?」と聞いてみたい。子供の時にタダで食べられた物は、買って迄食べたいと
思っていないのだ。ましてや芋、などと言ってしまったら罰があたるのだろうけれど。

家内の実家はお寺と言う事は何度も申し上げて来たが、境内に落ちている銀杏は
拾っても構わないと思っている人が大勢ではあるまいか?これはお寺にとっては痛
い事なのだ。銀杏はお寺の行事の料理に使うので、足りなければ買わなければな
らない。けれど、参拝者にして見ればお寺は公共の場で、銀杏など公共の場に落ち
ている臭い物で拾ってあげた方が良い、と思って居られる方が大半だと思う。私も
家内と結婚しお寺の内情を知る前はそうっだった。義姉も時々銀杏を拾っている老
人に「何してるんですか~?」と柔らかく注意をするらしいが、あまり効果が無い。

秋といえば松茸だが、坊主の義兄は松茸貯金という物をしており毎年国産の松茸
を我が家に送って来て呉れた(過去形に注意)。やはり「秋は松茸だ!」というので、
秋に寺に行けば松茸ずくしの御馳走が出て来た。でも、松茸貯金をして迄御馳走を
してくれている訳で、世間で言う程の「坊主丸儲け」では決して無い。けれども、家内
の姉の子供達が幼い時に「じゃん(義兄)が、朝早く境内の松ノ木の根元に松茸を
植えておいて、松茸が出てるぞと朝早く起こしてくれた」といういたずらを聞いたら、
やぱりこんないたずらが出来るのは儲かっているんだなと思えて仕方が無かった。



このお寺福島県の会津若松にあるのだが、観光客目当ての松茸街道というのがあ
り軒並み道路を挟んで松茸を売っていた。中には国産品と偽って韓国産の松茸を
売っているお店もある。義母は小学校の教師をしていたので、こういう商売を許せ
ない性分で「韓国産でしょ!」と言う。それだけならば良いのだが、それを値切って
結局買わない。店主とのやりとりをはらはらしながら見ていた私は、結局「?」で終
わってしまうのだが、秋の収穫を一番楽しんでいるのは義母だという事に気付く。
もう90歳になろうとしているのだが、実りの秋を何時までも楽しんで欲しいと思う。
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七転八倒 七転び八起き 七勝八敗 [老後]

ブログの記事を書く時間が無くて困ってる。昨日もバイト先で9時から17時迄働いた。
私は昼食を食べない主義で他の社員が昼食時間でも仕事をしている。たまには仕事
をしている素振りの時もあるが、時給なので労働時間は8時間と自己申告している。
会社に拘束されている時間なので正当な申告だと思うのだが8時間も働いてしまうとブ
ログを書いている余裕も無い。労働時間が7時間でも苦しいので正に七転八倒状態だ
が転んだ状態では又転べないので矛盾している諺だと思ってたが試した子供がいた。



子供電話相談室で、実際に相談者の子供が「七転び八起き」をやろうとしたが「七転び
七起き」になったという疑問を呈したエピソードが紹介されていた。先生が説明をした後
「ホントにやったのは偉い」としたもののすぐさま別の先生が「七転八倒の方はやらない
方が良い」と突っ込むあたりさすがである。確かにどちらかといえば七転八倒するより
は七転び八起き的な人生を歩みたいものだがなかなかそれが難しいのだと痛感する。

今場所の稀勢の里を見ていて失礼だが彼こそ「七転八倒」状態だと思う。横綱の期待
がかかる余りなのであろうか?皆の期待を裏切り続けて久しく、その間に琴奨菊が優
勝してしまったし今場所は豪栄道が優勝しそうな勢い。それこそ相撲が七転び八起き
ではあるまいか?八勝すれば勝ち越しで、7勝の負け越しとは雲泥の差なのである。
それにしても、相撲という格闘技は凄いなあと思うし、日本の国技である事が誇りだ。



八時間働いて八時間寝れば残りの八時間で何とか色んな事を済ませねばならない
訳だが、そうは都合良く行かないので大抵は睡眠時間を削るしかないのだろう。老人に
なって来てつくづく思うのだが「眠るのにも体力が要る」という事。息子がまだ26歳なの
だが、休みの日は羨ましいほど良く寝ている。私も寝ていても良いのだが残されている
時間が少ないと思うと何かしないではいられない、とは言っても新聞を読んだりTVニュ
ースを見る程度なのだが。昔近くに住んでいた60代後半の女性が「夜中に眼が醒める
とどうして良いか解らなくなるので12時まで我慢して起きている」という話しを聞いた時
に私はオンラインゲームに夢中で時間が幾らあっても足りなかったので「眼が醒めると
いう事は体がそれ以上睡眠をとらなくてもいいですよ、と言っている訳なのだから起き
自分の好きな事をやればいいんじゃないのかな?」と思っていた。ところが実際に同じ
ような年齢になってみると彼女の悩みが解って来た。要は「枯れて来た」のだ。月で
言えば九~十月、七月や八月を過ぎてしまい「やれやれ」と思うのと「まだまだ」と思う
と言えば良いのだろうか?要するに人生の秋なのだ。七転八倒か七転び八起きはとも
かく次は九なのだ。この九が苦にならないように頑張らねばと思いながら眠ろうと思う。
もっとも寝相は七転八倒なのだろうが、本人は気が付かないので長生きするのだろう。



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幽霊とお化けを見分ける方法 [老後]

ネットで調べて見たのだが、柳田国男氏の説が主流らしい。それは"幽霊"は「特定
の時間(丑三つ時)、特定の相手に対してだけ、場所を選ばずに現れる人間の霊」
"お化け"は「丑三つ時に限らず特定の場所に現れ、誰にでも見えてしまう動物や器
物、または人間の霊」。別な説では、”足がないのが幽霊で、あるのがお化け”という
説もあるがイマイチかな?私が好きなのは(?)綺麗な人が"幽霊"と呼ばれ色んな
職場から引く手あまた、それ程でもない人を”お化け”と言い働き口はお化け屋敷
しかない。なので万が一”お化け”と遭遇してしまったら「お化け~!」と叫ぶと益々
酷い目に遭うので、「幽霊~!」にしましょう。(もっとも余裕があればの話しですが)
男はどうなる?という突っ込みはご遠慮下さい。そんなの妖怪と一緒で沢山だろう。

昔、お台場の東京ジョイポリスにハイテクのアトラクションがあるというので行った。
アトラクションの一つに”お化け屋敷”があったので、さぞやハイテクで怖がらせて
くれるのかな?と思い入り口に並んだら、「お化けを殴らないで下さい!」の立て札
があって笑ったが、ハイテクを期待していたのでがっかりしてしまった。入り口で
案内している太った店員に立て札の理由を尋ねたら、「酔っ払いや、カップルの男が
良い処を彼女に見せようとしてお化けを殴るんですよ!」と言う。お化け屋敷を体験
して出て来たら、さっきの店員に「どうでしたか?」と聞かれたので、「貴方が一番
怖かった!」と言ったら、むっとしていた。私は何時でも一言多いんだよなあ。

「ばけべそ」、もう死語で落語家しか使わない言葉だけれど、意味は「化け物がべそを
かいているような酷い顔」。私はそういう人に会った事が無いので「すぐ隣に座ってる
よ!」というラッキーなご主人が羨ましい。(立腹したら事実になってしまうので注意)
昔は夫婦喧嘩で良く使っていたらしいのですが、使ったご主人は短命だったそうな。

私は”幽霊”や”お化け”が存在するとは思わないが、存在するという方が沢山おいで
なので存在を否定しません。”幽霊”や”お化け”の種類(?)にもよるけれども、
冷たかった世間を恨み無関係の人を脅かしたり傷つける、先祖が自分をないがしろ
にした恨みで子孫に酷い仕打ちをする等は理不尽だ、なのでいないと思いたい。
この理不尽を逆手に取ったアメリカ映画があり、毎晩ある女性が名も知らない女の
モンスターに酷い目に遭う。頭に来た彼女は女の墓場に行って棺桶から遺体を引き
ずり出してボコボコにしてしまう、という話。私はこの映画を観ていないが(観る気も
無いけれど)紹介記事で笑った。正にサム・ペキンパーの「わらの犬」ホラー版だ。

どうしてこんな記事を書こうと思ったのか?と言うとバドミントン仲間の女性が、
「私は幽霊に遭った!」と話し始めた。(私も今目の当たりにしてます。御免ね)
「ある事情で遺骨を室内に置いている女性に届け物があり訪ねた。チャイムを押し
たら奥から玄関に近付く足音がしたけれどもドアが開く事は無かった。仕方が無い
ので荷物をドアノブに掛けて帰った、後日その女性から留守を詫びる電話があった。
息子も同じ経験をした」と言った。(真顔が怖かった。)実際に幽霊に遭った訳では
無く足音だけなので、例えば風、猫がいる、室内で犬を飼っている、幽霊と同居し
ている(それならば納得)ではないのかな?と私は考えてしまうのだが、勿論反論
など怖くて出来ない。彼女が遺骨があるのを知っていたから、別な音を人の足音だ
と思い込んでしまったのではないか?知らなければ遭わなかったのでは?とも思う。

家内の実家は会津若松のお寺、名前を出しても良いですか?と義兄に聞いたら「年
間使用料は幾らだ?」と訊いて来たので使えません。このお寺には「幽霊の足跡」
という名物(?)があり、本堂の床に片足で踏んだような跡がある。TVでも紹介
されていて、義兄が緊張のあまり京都弁(花園大学卒)と会津弁がごちゃ混ぜにな
った解説をしていた。幽霊には足が無い筈なので、随分と人を喰った名物ではある。
「造るのに苦労したでしょう?」と訊くと「昔からあった!」と言う。本当かなあ。
この名物は観光に来た小学生に人気で、義母が案内していたが高齢になったのと、
無料なので現在は公開していないが、”幽霊の足跡のキーホルダー”を500円で
売っていて、”死ぬまで長生き出来るお守り”が何と、たったの千円!(本当は
お不動様のお守りです)。この義兄に「死んだらどうなるんですかねえ?」と訊いた
事があったが、「何も残らん!」の回答で身も蓋も夢も希望も無かった。それでは
商売あがったりだと思うのだが深い意味があるのかも知れない。良かったら訪ねて
見て下さい。ただ最近の葬儀不足を嘆く義兄に生き仏にされないように注意が必要。
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老人だって髪が命 [老後]

幸いな事に髪だけは豊富だ。髪に覆われている中身は大した量ではないのが残念で
はあるけれど、9月で64歳にしては真っ白な長髪で、引き合いに出して恐れ多い
けれどもマエストロで世界的に有名な小澤征爾氏の髪型を想像して頂ければと思う。
娘の結婚式の時、婿の親戚の方に「何か芸術関係のお仕事をしておいでですか?」
と訊かれ「毎日ホラという楽器を吹いてます」と答えて娘に後から怒られた。何故
怒られるのか解らなかったので、再度娘に確認したら「九州では冗談は言わないん
だって」の返事があった。それこそ「冗談を言うな!」ではあるけれど、本当かなあ。

「何時までもあると思うな親の髪」という諺があるけれど(無いか)齢をとるにつれ
髪は失われて行くものだろう。勿論個人差があり、若ハゲという言葉がある様に
若いのにもう髪の毛が薄かったり、ハゲていたりする。これは当人のせいもあるが、
遺伝による影響が大きいのではあるまいか?決して若毛(気)の至りではあるまい。
私の父も祖父も死ぬまで坊主頭だったけれども、ハゲてはいなかった。感謝したい。



何故、長髪かというと床屋が嫌いで年に2回行けば良いほうだろうか?冬は暖房も
兼ねている(?)ので、たいして長髪が気にならないが、夏場は辛い。そうでなくても
お会いする方に、会話で不愉快な思いをさせているようなので、せめて髪型ぐらい
ひんしゅくを買わないようにとは思っているのだが、なかなか行く気にはならない。
それでも数ヶ月前に行ったら、最後につむじの辺りにスプレーをかけられたのが気
になったので、手で触ってみたらつむじである事を差し引いても確かに薄かった。
慌てて数十年以上も振りかけた事も無かったヘアトニックを買いに行き、つむじに
かけた。ところが変な匂いがするので1回で止めてしまった。効果もそれほど期待
してないし、ハゲても良いやと開き直ってしまったから。それから2週間後ぐらい
だろうか?洗髪していて鏡を見たら数十本の黒い毛がある事に気が付いた。どうも
つむじの辺りの毛のようで、こうなった原因は勿論ヘアトニックのおかげだろう。

それから、毎日洗髪してはヘアトニックを頭全体に振りかける事2週間、髪の毛が
白髪から灰色になって来ている。この調子で行けば、昔のように黒髪になるのでは
と期待している。使っているシャンプーは商品名が”サクセス”で薬用と書いてあり、
ヘアトニックは”リーブ”で薬用育毛トニックと書いてある。この組み合わせだから
効果があったのかも知れない。(私はこれらのメーカーとは何の関係もありません)
もっとも、良くある決まり文句を追加しておきたい。「効果には個人差がありますので
この記事に”効果が無かったぞ!”の苦情等はご遠慮下さる様お願い致します!」

以前は「白く染めているんです」とか言って笑いをとっていたが、今私が心配している
事は昔のように黒髪に戻ったとしても、染めているんだろうな、と思われる事である。
そして誰も思ってはいるが、口には出さない事。それ程、髪に触れる事はタブーで
正に「髪をも恐れぬ所業」になってしまう。もう開き直って「最近のアデランスはかなり
良くなってますね。こんなに自然に見せてくれるんだから」とでも言おうかな。



NHKの番組に「家族に乾杯!」という番組があり、一般人が不意打ち取材される
のだが、された女性は「化粧していない」と良く発言する。この前観たのは、ある
女性がカメラが自分から外れると、髪の毛を両手で押さえて確認していた。つまり
カツラなのだ。不意打ちを受けて慌ててカツラを被ったと思われる。私もその手を
使おうかな?とも思う。それとも、どうせ思われているんだったらいっそ「緑か紫に
染めたろか!」とも考えるが、残念ながら私にはそこまでの度胸も趣味も無い。

それにしても”育毛トニック”がこんなに効果があるとは思わなかった。高い育毛剤
を使っている人が「高いばかりで全然効果が無いんだよ!」と嘆いていたからだ。
私が効果があったのは、ヘアトニックなど床屋でも断っていた位で、数十年使って
いなかったからではあるまいか?と考える。今、私は血圧や痛風などで数種類の薬
を服用しているが、万が一に備えるべくこられを一切やめてしまう。そうすれば、
ガンになっても歯磨き粉で完治してしまうのではあるまいか?もっともガンになる
前に脳卒中で死んでしまうが。こうなればガンになったら、髪に祈るしかあるまい。


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アフィリエイトで老後は安泰 [老後]

このブログを書き始めてもう少しで一年になる。毎日書いているので記事数は360
を超えた。何故ブログを始めたのか?と言うと娘の「アフィリエイトは儲かるよ!」
という甘い誘惑に負けてしまったから。そして結果というと、儲かりました77円。
労力を考えればコンビニでアルバイトをしていた方が良かった、と後悔している訳で
はない。ブログの記事を書く事によって、いろんな事を考えるようになった。幸か不
幸か今の社会は、考えなければならない問題が溢れているので、それに対して自分な
りの意見を記事を書く事で持てたので、私にとってブログは生き甲斐になっている。
それでもこのブログ記事がアフィリエイトによって、お金を生み出してくれるのなら
ばこんな有り難い事はない。そもそも始めた動機がお金儲けだったのであるから。

娘はアフィリエイトを始めて3年になるだろうか?高い講習料を払って講習会に参加
していた。始めたらパソコンが難しい、記事を書くのが大変、投資した金額に見合わ
ない、と会う度に愚痴を聞かされた。”そんなに大変なら辞めりゃあいいのに”と思
ったが、夫が安月給で子供が2歳、なので家庭で出来て儲かる仕事として選んだから
今さら辞める訳には行かない、と泣きそうになりながら頑張っていた。「何か記事の
ネタない?」と度々連絡があった。そんな娘も記事数は200程度で、最近の収入は
月10万円を超えるようになったという。羨ましい、「一番アクセス数が多いのは、
お父さんに教えて貰った山の日の記事かな?」と言う。幾らか私にお礼があっても良
さそうなものだが、「それとこれとは別でしょ?」と言う。期待する私がアホだ。
儲かったお金は所得税がどの位になるのか解らないので、怖くて使えないので貯金し
ているという。最近の質問は「経費で落とせるの何か無い?」羨ましい悩みだ。



私はブログを始めた当初は記事に困らなかった。「お父さんなら失敗が一杯あるだろ
うからネタには困らないんじゃないの?」という言葉で始めたので、悔しいけれども
成る程なあ、と思っていた。記事のストックも毎日10個ぐらいはあったので余裕で
1年位は続けられそうだと考えていたら、3ヶ月も過ぎたら記事のネタが尽きて来て
毎日のお米(?)にも困るようになった。こうなると、毎日記事を書いてアップする
のが苦痛になり拷問に近く、娘の気持ちが良くわかった。毎日書くのを止めて、2日
に一度でも良いではないか?と考えたが、自分の性格を考えれば最後は1年に1度に
なってしまいそうなので何とか無理やり絞りだして書いた。励みはアクセス数にあっ
た。私のような記事でも読んで下さる方がおいでになる、ナイスまで下さる方もおい
でになる。ここで私がブログを止めてしまったら日本はどうなる?(かえって良くな
るかな?)と考えて四苦八苦しながら何とか続いている今日この頃だ。



娘が私のブログを見て、「これじゃあ駄目だよ。アクセス数が伸びてもお金にならな
いよ」と言う。77円の私と10万円を超えている娘ではどちらが正しいのか?は解
りきっているので、娘の意見に渋々従う事にした。「スマフォで読んでいる人が圧倒
的に多いから、スマフォをメインに考えた方が良いよ」「広告は記事の中に埋め込ま
なきゃ駄目!」と言う。私の記事はPCで読んで貰いたい、記事中の広告はウザイの
で入れたく無かった。それでも私の信念などお金儲けの為には幾らでも変えられる。
なので、しばらく娘の忠告通りのレイアウトで記事をアップする事にした。

これでアクセス数も増えて、老後も安泰だと思う。私もすぐに、いかにして経費を膨
らませるか?を考えなければならなくなる、嬉しい悲鳴だ。(私は多分、長命だな)
そんな訳で、記事を広告が分断してしまい、せっかくの記事(?)が読みづらくなり
ましたがご勘弁ください、って謝る程の記事内容では無い事に今気が付いた。御免。
それでも、1年後も77円のままだったらどうしよう?
それまで私が生きていればの話しではあるのだが。




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頑張らないように頑張る [老後]

頭が痛くなりそうなタイトルで恐縮だが”頑張る”は自分に対してなので使うのは簡単、
だが”頑張れ”となると、言われた側の立場を考えなければならないので難しい。

この前の九州の集中豪雨で、収穫直前のトマトのビニールハウスに水が流れ込こんだ
農家をTVが紹介していたけれど、復旧に2年はかかるそうでその惨状に息を呑んだ。
こういった被災者に安易に、「頑張って下さい」と言葉をかけるのは酷でしかない。
「一緒に頑張りましょう」なら、少しは救いがあるかも知れないが、実質が伴わなければ
これほど被災者にむごい言葉はないだろう。よく若い女子アナにありがちなのだが。



私の父は長男なので、兄弟はもとより親戚に対しても意見を言わねばならない立場に
いた。そんな父が、祖父の実家の塀が崩れ屋根も傾いて来たのを見かねて、家長に
意見を言おうと訪問した。家長は小学校教師の40代女性で夫は数年前に他界した。
父が口を開こうとしたら、「私は私なりに頑張ってやっています」と先に言われた。
「説教しようとしたら、先に頑張ってますって言われた、これじゃあ何も言えない」
と帰って来て愚痴をこぼした。その頑張りが他人には歯がゆいと感じても、頑張って
いるかどうかは本人にしか解らないのだ。なので、簡単に「頑張れ」などとは言えまい。

私は不注意で踵を骨折して通勤していた時に駅の階段の多さに辟易した覚えがある。
何時もは平坦だと思っていた道路も、少し傾斜がある事に気付いた。骨折などしなけ
れば何という事もない通勤路が、障害物がいたるところにある道路に変ってしまった。
”他人の痛みは幾らでも我慢できる”という言葉通り、想像の痛みは現実に及ばない。

”頑張らないバドミントン研究会”という通販サイトがあって、私も利用している。
この通販サイトのポリシーは”頑張らないで上達したい仲間たちを、上達テクニック
やオリジナルグッズで応援!!”少々虫が良すぎるが、サイト内アドバイスは確かに
的をついている。私もアドバイスに従って練習していたらめきめき上達してしまった。
となれば苦労はない。やはり、スポーツにはある程度の才能と頑張りは必要不可欠。



良く言われるのが、”うつ病の人に頑張れ、は禁句”だが、うつ病にもよるらしい。
自分を責めるあまり発症した人には勿論禁句なのだが、最近は新型うつ病といって、
自分ではなく他者が悪いと考えて、自分に向き合わない病人が多くなって来たという。
いかにも現代を象徴するかのような新型うつ病だが、若者に多いのも納得できる。
こういう病人には、「もう少し頑張れ!」の叱咤激励が効果がある治療法らしい。

「頑張れ」や「頑張ります」が飛び交う職場では、あまり働きたくないと思うのは私だけ?
「ご苦労様でした」は上から下への言葉なので上司に使ってはいけないとされている。
「お疲れ様でした」が正解だというけれど、私は違和感を覚える。”苦労”と”疲れ”
は別物で、”苦労”には”苦労されたかいがありましたね”という意味があるように
思うが、”疲れ”は”結果はともかく心体が大変だったでしょう、の意味しかない。
なので、上司に「ご苦労様でした」と自然に口から出ても構わないと考える。

”頑張れ”という言葉は、言う側言われる側の状況を考慮すれば、悪い言葉ではない。
”無理をしないでね”という言葉に置き換えて見て、違和感がなければ使って良い。

私は毎日記事を書いているが、今後も記事に限らず、生きて行く上で”なるべく頑張
らないように頑張ろう”と思う。そのほうがちょっぴり豊かに長生き出来そうだから。



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私はペットになりたい [老後]

新聞のチラシを見ていたら、A4サイズで「猫を探しています」のチラシが入っていた。
こんなチラシを見たのは初めてで、飼い主の必死の思いがチラシから伝わって来る。
チラシは上質の光沢紙で、葉書大の写真が2枚あって、どちらも元気が無い様子だ。
名前はこうし、メス(避妊済)で推定8歳、模様、性格、連絡先と携帯番号があった。
「見かけた方はご連絡ください。どんな情報でも結構です」とゴシックで書いてある。

多分、自分でプリンターで印刷し新聞販売店に持ち込んだのだろう。手作り感がある。
このチラシ、折込で各家庭に配達してもらうと1枚3.5円かかる。高いか?安いか?

このチラシで気になったのが謝礼がどこにも無い事、それはさもしい私だけの発想か?



昔、家内の実家が隣の市へ家族で車で遊びに行き、車上荒らしにあってしまった。
被害はハンドバックと子供の夏休みの絵日記だった。ハンドバックはともかくも、
子供の絵日記に価値はあるまい。きっとどこかに捨ててあるはずと考えて地方新聞に
広告を出したところ、電話連絡があり「拾った人を知っている。電話番号はxxxx」
喜んで電話したら、市役所の番号だったという。いわゆる愉快犯というやつだ。

猫の捜索チラシを出した人が、不愉快な目に遭っていなければ良いがと心配になる。
それほど、バレなければ人の不幸を喜んで悪戯のネタにする人間が結構いる。

私の住んでいる町内には広報スピーカーがあり、2週間に一度は老人の行方不明の
アナウンスが流れる。警察も人間なら、相手もしてくれるがペットは駄目なのだろう。
最も昨今の警察はストーカー被害で助けを求めても相手にしてくれず、身内の不祥事
を始末するのに手一杯で、ペットどころではないだろうなと皮肉の一つも言いたくなる。



迷い猫を拾ったので飼ってはいるけれども、飼い主は心配しているだろうから返して
あげたいが、連絡先が解らないのでどうしようも無い。そんな人へのチラシだろうか?
私も昔猫を飼っていたが、万が一の為に首輪に電話番号と名字を書いておいた。
良いアイデアなので、私は自分の下着に書いておこうかな?と思い始めている。

こういう風に飼い主に愛されているペットが羨ましい。熊本大震災等でもわかるが
ペットは家族どころか家族以上に愛されている。言葉が通じないからだろうか?
もしそうならば、それはそれで問題ではあるのだが、今の日本の現状はそうなのだ。

私が行方不明になったら、家族は捜してくれるのだろうか?何日後からなのだろう?
チラシも出してくれるのだろうか?西部劇の指名手配ではないけれど、過去の家族へ
の酷い仕打ちが列挙してあり、謝礼額はそこそこで、生死は問わない、とありそうだ。



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ドレミの歌は明日はワガミの歌 [老後]

”アルツハイマー型認知症の母親が毎日にこにこして得意そうに歌う「ドレミの歌」
ミとソとラが抜けていて「ファはファイトのファ、シは幸せよ」と歌ってしまうので、
すぐに終わってしまう。けれど、記憶の歌詞にファイトと幸せが残ってて嬉しい”
という55歳の女性の投書が載っていた。一緒に歌うのだという。羨ましい限りだ。

こういった投稿を読むにつけ、明日は我が身だと思っているので、力をもらえる。

「ドレミの歌」はサウンド・オブ・ミュージックのなかでジュリー・アンドリュース
が歌っていた。日本語訳はペギー葉山、英語の歌詞などより優れていると思う。
この歌詞の中に”ドミミミソソ レファファラシシ ...”という箇所があるけれども、
メロディーの音階を表していて、音階を教えるのに秀逸な曲だなと感心する。



アルツハイマー型認知症だが、もの忘れからこの病気だと気付くことが多いらしい。
今まで日常生活で出来た事が少しずつ出来なくなって行くと言うが、思い当たる。

TVを観ていたら、蕎麦が食べたくなってたまに行く店の名前を思い出そうとしたが
出てこない。場所は判っている。そういえば、行く途中にも蕎麦屋があったっけ。
何ていう名前だったかな?とこれも思い出そうとしたが、出て来ない。看板を思い出
せば名前が出て来るかも。あれ?隣は何屋さんだったっけ?ときりがなくなって行く。

こういう時に簡単に諦めてしまうと、脳の回路の一部が切れたままで元に戻らくなる
のではないか?という恐怖もあり、必死に思い出そうとするがどうしても出て来ない。
このまま寝るのは絶対嫌なので、スマフォで調べたら直ぐわかり看板まで思い出した。

そうすると、何でこんな名前が思い出せなかったのか?と自分にがっかりする。
簡単にギブアップしてスマフォに頼るという卑怯な手を使ったのも悔しかった。



こんな事を考えていられる間はまだましなのだろう。悔しい感情も湧かなくなったら?
蕎麦ってなんだっけ?なんて事にならないようにしたいのだけれど、その自信が無い。

投書のお母さんは”ファイトのファと幸せのシ”を覚えていた。私はどうだろう?

この前日本人の元素発見で、久々に元素周期表を見たが意外と覚えている自分に
吃驚した。ただし、私の記憶した周期表は原子番号の21~30の列はなかった。
昔、小学生の息子に成績の悪さを叱ったら「昔の方が勉強が簡単だったんだ!」と
いう反論も、あながち間違いではないような気もする。歴史なんかもそうかな?

「元素周期表を覚えているぐらいなら、たまに行く蕎麦屋の名前ぐらい覚えとけよ!」
と自分の脳みそを叱りつけたくなるが、叱れば叱るほど萎縮して小さくなるので止め。



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左右ある物は鍛えておこう [老後]

バドミントンメンバーの30代の若者が右腕を痛めて約1ヶ月休んでいる。
車のハンドルを握る事も出来ないので、かなりの重症だ。「テニス肘?」と訊いたら、
腕を捻って筋を違えてしまったという。通院中だが、復帰までに時間がかかりそうだ。
若いので直ぐ完治するだろう。つくづく羨ましいと思う。年寄りはそうは行かない。

こんな時に左腕が使えたら良いのになあ、と思うが簡単には右腕に置き換わらない。
普段鍛錬していれば良いのだろうけれど、そんな準備が良い人がいるのだろうか?



昔読んだ伊丹十三の本に、彼が左利きに憧れて下宿に帰る途中に煮豆を購入して、
部屋に帰り左手に持った箸で豆を掴む練習をした、という話があったのを思いだした。
どうなったのか?までは残念ながら覚えていないが、そこそこ成果はあったと思う。
「劇団ひとり」がこの方法でダイエットをしているというが、効果は疑問だ。

ネットで調べると人間は本来両手使いらしいが、道具はどちらかの手で使う物が多い。
なのでどちらかを利き手にする必要がある。親の所作を受け継いで子供は育つので、
自然に右か左のどちらかになるが、右の方が9割と多いので益々右利きが多くなる。

珍しいからだろうか?サウスポーに憧れている人は多い。「私の彼は左利き」という
歌があるように、左利きは格好良く見える。ポール・マッカートニーなんかそうだし
ジミー・ヘンドリックスもそうだ。松崎しげる、はなわも入れておいてあげよう。

息子は幼稚園児の頃は左手で食事をしていた。無理に右利きにすると良くないという
事を聞いていたので、そのままにしておいた。小学校3年から書道教室に通い始めた。
習字の先生に「とめ、はらい、はねなどが書きにくいので右手で書くようにしなさい」
と言われたので、仕方なく文字は右手で書くようにはしたけれど、見ていると辛そう。
「俺、左の方がきれいな字がかけるんだけどな」と息子が言うので、書かせてみたら
どちらの手で書いても汚い字だった。なので食事をする時も右手を使うようにさせた。
早く決断しないと、左右どちらでも駄目な人間になってしまうと思ったからだ。
今でもビンの蓋を開ける時など左手でないと力が入らないと言うので、本来は左利き。



両手使いに感心を持ち始めたのは、バドミントンメンバーの怪我よりも前からだ。
”脳卒中で麻痺して体が自由に動かなくなったらどうしよう?”という不安からだ。
私は高血圧なので可能性は非常に高く、その上最近はプッツンするニュースが多い。
人間に左右あるもの、例えば、目、耳、手、足などは半身不随や事故にあっても
運がよければもう片方があるので、それを使えば良い訳なのだけれども。気休めか?

目が二つあるので、老後に備えて右目しか使わなかった男がいた。右目が弱くなった
ので左目に替えたら、知っている人が誰もいなかった。という笑い噺があるけれど、
両目で見ていた人を「どなた様でしたっけ?」と訊くようになりそうな自分が怖い。
こう訊かれて、「あなたの息子でがんす!」と言ったのは”たそがれ清兵衛”だった。




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無くて七癖ではあるけれど [老後]

”無くて七癖有って四十八癖”、類義語に”人に七癖我が身に八癖”という諺がある。
誰でも癖を持っているが本人は気付かないし、気付いていても止められないから
癖なのだ。周囲に迷惑をかけない癖だと良いのだが、そんな癖は癖とは言わない。

私は高血圧等の持病があるので、薬を貰う為に病院にもう20年以上通っている。
最初は2週間に一度だったが、ここ数年は2ヶ月に一度の通院で済んでいる。
行けば待合室にはほとんど人がおらず、すぐに診察して貰えるのでずっと同じ病院だ。
こうも人気のない病院も珍しく、時々不安になるが、まあいいか?老い先も短いし。



今日は珍しく待合室に4人先客がいた。2人は中年と初老の男性で作業服姿だった。
1人は70過ぎのお爺さんで、野球帽を被っていた。もう1人は30代の女性だった。
看護婦が女性に、来院の理由を聞いている。前夜から吐き気が止まらないらしい。
看護婦が女性から一通り事情を聞くと「今日は健康診断が入っているので混んでいる」
「診察まで時間がかかりますけど、大丈夫ですか?」と看護婦が女性に確認していた。

健康診断の日に来てしまった事を後悔したが、出直すのも面倒なので待つ事にした。
診察が進み、待合室はお爺さんと女性と私になった。待合室にはTVがありお爺さん
は熱心に観ている。女性は吐き気を抑えようと一生懸命、私は週刊誌を読んでいた。
待合室には4人掛長椅子が4つあり、お爺さん、女性、私の順で1人ずつ座っていた。
暫くすると、靴音がする。発生源はお爺さんで、座りながらジョギングをしていた。
両足をジョギング程度の速さで動かし、その度にかかとで床を踏み鳴らしていた。

私は週刊誌を読む集中力を失った。吐き気をこらえている女性にはもっと辛かろう。
待合室横は受付を兼ねた事務室、事務員にも聞こえている筈だが注意は出来まい。
時々は足音が止むのだけれど、お爺さんが看護婦に呼ばれてるまで続いていた。
お爺さんも健康診断に来たらしいが、薬手帳も検便採取も忘れて来て注意されてた。
診察を受けている時も野球帽を被ったままのような気がする。明日は我が身か?



お爺さんに悪気はないだろう。健康法か何かが癖になってしまったのかも知れない。
それでも時と場合によっては周囲が大迷惑だ。本人がそれに気付かない事も辛い。
癖を注意するほうもそれなりの覚悟がいる。お前だって、と言われたらどうしよう。

バイト先の社長の癖は”貧乏ゆすり”、自社ビルを持ち、外車に乗っているのにだ。
(貧乏な私を安いバイト料でこき使っているので、貧乏人をゆする意味あいが強い)
この”貧乏ゆすり”、やっている本人は良いのだろうが、周囲には迷惑な癖の一つ。
だが、全身の血行が良くなり健康に良いらしい。この語源は、貧しくて空腹や寒さに
震えている姿にとても似ている事から来ている。ちょっと迷惑だが良く見る癖である。

私の癖は何だろう?昔は私も”貧乏ゆすり”をやっていた、と思うが今はやらない。
貧乏以下になってしまったからか?するほどの体力が無くなってしまったからか?
自分では気が付かないから癖なのだろうが、強いてあげれば”難癖をつける”癖か?
だんだん頭が混乱して来たのでこの辺りで止めにしたいのだけれど、最近の新聞や
TVニュースには難癖の一つもつけたくなる事が多すぎる。この癖は死んでも治らん。



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