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「タクシー」に定期券の時代 [老後]

朝日新聞朝刊に”タクシーに「定期券」”の記事が載っていた。どのような仕組みかと言うと”利用地域や期間、時間帯を限定し、定額で何度でも利用できるようにする。運転免許を返納した高齢者の足としての活用や、冷え込んでいるタクシーの需要喚起を図る。2018年度に実証実験を行い、19年度以降の実用化を目指す。近年、高齢ドライバーの事故が多発し、高齢者に免許返納を促す動きが強まっている一方で、マイカーに代わる移動手段の確保が課題となっている。国交省としては、「タクシー定期券」を導入して1回あたりの利用料金を抑えることで、免許を返納した高齢者らに使いやすくし、通院や買い物などのニーズに応える狙いがある。学校や塾への子供の送迎や、仕事で限られたエリア内を頻繁に移動する人の利用も見込む。タクシー運賃は道路運送法に基づくルールで地域ごとに細かく規制され、通常は乗車距離や時間に応じて加算される。国交省はこのルールを一部改めるか、特例を設けて対応する方針。金額は、運転手の減収にならないよう配慮して今後定める。1台のタクシーを長い時間独り占めできないようにするなど、使い方のルールも検討していく。国交省の担当者は「都市部と地方の両方で役立つ制度にしたい」と話している。国内のタクシーは、公共の交通機関の中で「ひとり負け」が続く。15年までの10年で見ると、鉄道とバスの利用者数はほぼ変わらないが、タクシーは3割以上減った。苦境を打破するため、新たな需要を掘り起こそうと、業界側からも定期券制度の導入を求める声が出ていた。”


私はタクシーが嫌いだ。過去に嫌な目に何度も遭っているからだ。昔はスマフォなど無かった時代なので、初めて訪問する会社に限ってどういう訳か約束の時間が迫っていたりして余裕がなく、駅に止まっているタクシーに住所を告げるのだが「そんな近くは歩いて行け!」。ある時は、降りる時に千円札が無いので、1万円札を渡すと「口開けで釣りが無い。近くの店で両替して来てくれ」。呆れたのは、我孫子に電力中央研究所という半公的機関があり、我孫子駅でタクシーに乗ろうとしたら「あそことは喧嘩しているので行かない」と言う。仕方が無いので次の天王台駅まで行って乗った。帰りに無線タクシーを呼び、車に乗り込もうとしたらメーターにかなりの料金が表示されていたので尋ねると「無線で呼ばれた時点でメーターを倒す」だった。それならば、なるべく遠いタクシーを呼んだ方が会社は儲かる。ある時はお釣りが数十円だったので「お釣りは結構です」と言ったら「要らねえよ!」。昔のタクシーは「雲助」という言葉を思い出す程、どちらが客か判らない程の横柄な運転手が多かった。なので、ワンメーター程度ならば必ず歩いた。ワンメーターだと舌打ちされた事もあったから。


今時、私が体験したような不愉快な目に遭う事はまずあるまい。冒頭の「タクシー定期券」になれば、利用者は運転手と顔馴染みになるのかも知れない。電車やバスのように、一日に何度でも利用出来る仕組みらしいのだが、老人が寂しさのあまりに乱用しなければ良いが、と思う。数年前のTVドキュメンタリーで女性タクシードライバーを取り上げており、乗り込んで来た老人に行く先を聞いたら「どこでも良い。話相手が欲しかっただけ」と言われて驚いたという逸話を思い出した。私がタクシーが嫌いな理由をもっと挙げると「目的地に着くまで料金が判らない」であるが、これも最近はスマフォを利用して、料金をあらかじめ提示してくれるサービスもある。それにしても求人のチラシにも、タクシー会社の壁にも「運転手求む!」で、きつい仕事なので辞めてしまう人が後を絶たないのだろう。今、車の自動運転が実用化されつつあるので、将来は無くなってしまう職業の一つではあるまいか?全てのタクシーが自動運転になり、誰もいない運転席に話しかける老人が現れなければ良いけれどと思ったが、運転手のいないタクシーなど老人は恐ろしくて乗るまい。なので、ダミーで良いから、お喋りで愛想のよいAIロボットドライバーを運転席に置いて欲しい。「タクシーが 無ければ生きれぬ 老後かな」


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華麗なる加齢 [老後]

日本語とは本当に面白いもので、発音が「かれい」でも漢字では「華麗」又は「加齢」と書くのだが、それぞれ「はなやかで美しいこと」と「年齢の増加に伴う変化のこと」の意味なので、ほとんど対義語ではあるまいか?美しく年齢を重ねられれば良いのだが、なかなかこれが難しい。若い頃は「かれい」と聞けばすぐ華麗を想像したのだが、老人になると加齢が思い浮かぶ方が多いのではあるまいか?中には魚の「かれい」を想像される方もおいでになるかも知れないが、そういう方はさぞや長生きされる筈。新聞に加齢をお嘆きの投書が二つあった。一つ目は神戸市にお住まいの74歳の女性で”どうにも具合が悪くて、迷ったあげく病院に行く決心をした。医師に何とかこの具合の悪さを分かって欲しいと必死に説明するが、その間いちべつもくれず、ただ無表情にパソコン画面を見るばかり。切なる訴えが終わったところで冷たく一言「加齢ですね」。医院を何軒も回り、何回同じ事を言われたか。年をとった事は認めます。十分自覚してます。シワクチャの顔なんか見たくもないでしょうけど、一度や二度視線を合わせても罰あたらへんのとちゃいますか。婆さんの肌に触れたら汚いですか。必死のパッチで来たのにかいないなあ。老人はこういう扱い受けるんは、やっぱり一割負担やさかいですか。”と華麗なパッチも医者には功を奏さず、お嘆きだった。神戸弁なのでちょぴり華麗さには欠けるが、お気持ちは良く解る。そして女性は灰になるまで..失礼しました。


二つ目は「高齢者は自由に金を使えない?」のタイトルで、鹿児島県にお住まいの75歳女性。”保険が満期になり銀行口座に振り込まれたので引き出しに行った。振り込め詐欺と間違われないようにと保険証を持って夫婦で出かけたが、使い道を根掘り葉掘り聞かれ、今は警察に連絡をする決まりだからと二人の警察官が呼ばれ別室で「取り調べ」が始まった。お寺の納骨壇の購入や、遠方に住む娘の長男の運動会に行く費用などと話したが、信用しないのかお寺に確認の電話をする。もう一人の警察官は娘と話したいというので、携帯電話で呼び出すと娘の住所、氏名、生年月日、携帯番号まで尋ねる。後で娘から「警察官になりすました男に個人情報を盗まれたかと心配になった」と言われた。結局、一時間半余り説明し、ようやく自分のお金が手に入った”。他人事ながら銀行の杓子定規な対応に読んでいて腹が立った。お客様を詐欺から守る為などでは無くて、後で振り込め詐欺だった事が判った場合の銀行側の保身に過ぎないからだ。それにしても、取調べに警察官が二人も来るとは驚きで、老夫婦をまるで犯罪者かのような扱いも、銀行と同じように責任逃れの行為でしかあるまい。そんなに暇なら、最近、警察官の不祥事が多いので、そちらに人員を増やしたら良いだろうに。私が同じ目に遭ったならば、多分怒鳴っていたかもしれないが、そんな大金を引き出す程の預金も無いので、そんな心配も不要か。


当たり前だが、誰でも毎年歳を取りやがて老人になる。私も子供、学生、青年、中年、初老時代は自分が経験して来たので、他人でもある程度の想像はつく。けれど、その先の老人はまだ経験していないので、想像するしかなくて「多分、こんなもんだろう」なのだ。私は50歳位の時に飛蚊症になってしまったのだが、眼科に行って若い医者から「歳ですから、もう直りません。すぐに慣れますよ」と言われ「飛蚊症の経験もない貴方が、どうしてそう言い切れるのか?」と腹が立った。所詮、他人の痛みなど何時までも我慢出来て、自分が実際にその立場になってみないと、なかなかその痛みが解らない。なので、未来の老人の方々にお願いしたいのは、現役老人の痛みは自分の想像以上なのだという事を理解して頂きたい。「長生きは したいけれども 老いは嫌」


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老人は 過去の地位が 捨てられない [老後]

私は毎週土曜日に公民館の体育館施設等でバドミントンをしており、利用する時は体育館の使用料金を払ってネットを借り、領収書を貰う。普段は手馴れた女性がてきぱきと処理してくれるのだが、この前はシルバー人材派遣センターから派遣されたと思われるようなお爺さん二人が事務処理をしていた。午前8時半に公民館は開き、体育館の使用は午前9時からだ。何時ものようにサークル名を言い、料金を払い領収書を貰おうとしたのだが、これがなかなか出て来ない。二人のお爺さんがあちこちの机やパソコンの周りを探し回る。「少し待ってて下さい」と言われて、3分は経っただろうか?領収書がやっと見つかった。「はい、どうぞ」と渡されて「ネットを貸して頂けませんか?」とお願いすると「忘れてた」といって、カウンターの下から出した。「これで良いのかな?」と尋ねられたので「それです」と言って受け取った。「朝のアイドリングが済んでいないのに人が来ちまった」と一人の老人がもう一人に言った。「30分近くあったでしょうに。それに、てんてこ舞いをする程人は来ないんだけどなあ」と心の中でつぶやく。事務処理の遅さを謝る事もなく「次の人」と言ったので、上から目線の物言いを感じた。「多分、人に謝るとか頭を下げた事などないお偉いさんだったんだろうな」と感じた。今、こういう昔の地位の立場の感覚で老後を過ごしている人が大勢なのではなかろうか?だから、お店等でちょっとした事にも簡単に切れてしまう。「俺を誰だと思っているんだ!」なのだろうが、言われた方は「ただの爺さん」に過ぎない。


バドミントン仲間のある男性は70歳、過去の職業を詳しくは知らないが大企業の財務部関係であちこち単身赴任を経験したという。彼は中高生時代にバドミントン部だったので上手で、時々仲間にアドバイスをしないと気が済まない。それも試合中に組んでいるペアに対して言ってしまう。私は言われた方の気持ちが理解出来るし、サークルで楽しく汗を流せれば良いと考えているので、アドバイスも試合中は勿論、練習や休憩時でもほとんど言わない。たまたま彼が休んだ時に、ある女性メンバーが「あの人は縦社会で生きて来たから、その癖が抜けないのね。女性も男性より下だと思っていて、上から目線で物を言って来るの。今日は伸び伸び出来て楽しいわ」と私に言う。「彼も悪気があってアドバイスしている訳じゃないので、聞き流したら?」と返した。もう、女性も60歳過ぎている(多分)ので、アドバイス通りにやろうとしても出来ないのだ。それでも、同じ事を何度もアドバイスをしないと気が済まない彼を見ていると、人は過去の職業や地位を引きずって生きているのだなあと感じる。


さて私だが、私は30人程度の試験機メーカーの技術屋だった。大学の専攻は「電子工学科」だったのだが、胸を張れる程の成績ではなかった。なので会社に入って電子回路図を見ても、部品を見てもさっぱりだった。なので会社から回路図を持ち帰り、家で考えた。自分を電気屋と言えるのかな?と思えるまで10年はかかったが、将来はコンピューターで試験機を作る時代になると思い、プログラム開発を熱心に勉強するようになった。「ソフトは思ったようには動かない。書いた通りに動くだけ」という名言があるように、非常に論理的思考が問われる。3階建ての建物を建てようと思ったら、1階をしっかり作っておかないと、つっかい棒だらけのとんでもない3階立てが出来てしまう。なので、長い間に合理的、論理的な思考をするようになってしまった。しかし反面、非合理的、非論理的な物にも触れていないと心が持たない。なので、漫画、小説、落語、漫才、映画、音楽等の感性が求められる物や、好い加減な物が益々好きになった。小さな会社だったので、営業的な事もやらされ、相手を笑わせるのが大好きだったし、頭も下げた。部長どまりだったが、今は大企業の部長や重役経験者などより平穏な老後を過ごせていると思う。「威張るなよ 俺はあんたの 部下じゃない」


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老いるにオイル [老後]

油が切れた自転車に乗ると、リズミカルな音を出しながら重いべダルを漕いで乗らなければならない。こういう時に、チェーンやギヤ等の回転する箇所にオイルをさすとかなり良くなり、ペダルも気分も軽くなる。人間も老いてあちこち油切れが始まったら、老いに効くオイルがあったらなあ、と思うのだがなかなか見当たらない。田舎の兄が「グルコサミンを使い始めて、膝の調子が良くなった」と言っていた。それでも年に一度は膝に注射をして貰わないと痛くて歩けなくなるそうだ。畑作業が好きなので、中腰の姿勢になる事が多いのが原因なのかも知れない。老人は、もう何十年も体を酷使して来たので、膝や腰の調子が悪くなるのはやむを得ないのだろう。私はバドミントンが出来る位なので、体だけは丈夫でまだまだ酷使に耐えそうだ。頭は酷使して来なかったのだが、どういう訳か調子が悪い事が多く、最近人の名前が出てこなくて閉口してしまう。


在る日、車で我が家に戻ろうとしたら、我が家の10メートル手前をゆっくりとお婆さんが道の真ん中を紙を見ながら歩いていた。クラクションを鳴らすのが嫌なので、ユックリとお婆さんの後に続く。すると我が家の玄関の前で立ち止まって表札を見ていた。「我が家に用事かな?」と思っていたら、玄関脇の駐車場に入ってしまい、なかなか出て来てくれない。これでは駐車する事が出来ないので困ったなと思ってたら、隣家に向かったのでやっと駐車出来た。車から降りると、又お婆さんが我が家の玄関先でうろうろしている。手に封筒と名簿らしき紙を持っていたので、ピンと来た。「町内会費の集金ですか?」と声をかけたら、満面の笑みで「そうなのよ」との返事。町内会費は3600円なので、4000円渡して400円のお釣りを貰おうと右手を出したら、どうしても財布を持っている左手に渡したいらしく「ごめんなさいね」と言いながら、無理やり私の左手にお金を置いた。領収書を頂けると思ったがそのまま行ってしまった。名簿に印もつけなかったので、もう彼女の記憶に頼るしかない。次の日、チャイムが鳴ったので玄関を開けると別のお婆さんが立っていて「町会費を集めに来ました」と言われたので「昨日、お婆さんに払いましたよ。領収書は貰えませんでしたが」と言うと「そうですか、あの人ぼけちゃってるから色々忘れるのよね」と言って帰って行った。今年は二人のお婆さんが町内会の班長にさせられたのだろうが、お二人共高齢なので気の毒である。、


町内会ではゴミ収集所の掃除当番を交代で行っており、掃除用具と一緒に当番ノートが廻って来る。ノートには日付、担当者名、ゴミの種類を記入する欄があらかじめ書いてあり、当番を終えたらハンコかサインをして次の人に渡すのだが、日付を見たら1週間先の日付になっていた。多分、町会費を渡したお婆さんが記入したと思うのだが、もう80歳を超えておいでなので勘違いされたのだろう。曜日によって出せるゴミの種類は決まっているのだが、時々曜日を勘違いして置き去りになったゴミを見かける。老いる、とはこういう事なのだ。私の班は8名なのだが、一人暮らしのお婆さんが2人、歩いても3分位の場所にゴミ収集所があるのだが、お婆さんは自転車にゴミを積んで捨てている。歩くのがしんどいのだろう。日本中に一人暮らしのお婆さんやお爺さんの日常は、こんな失敗の繰り返しだと思う。老人にとって、昔と今とどちらの時代が良かったのだろうか、と考えてしまった。もう戻ろうにも戻れないのだが。「起きたけど 寝るまで特に 用はなし」(老人川柳から借用)


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キレる爺さん ヒマな婆さん [老後]

新聞に中学生からの「キレる高齢者にどう対すれば」と、高校生からの「お年寄りはなぜ病院に集まるの」という投書があった。「老人とは70歳以上位の人をさすのだろうから、64歳の私はまだまだ老人ではないので無関係」と考えたら大間違いで、若者から見れば60代こそキレやすい老人なのだ。東洋経済オンラインというネット記事(2016年3月掲載)から引用させて頂くと”JR6社や日本民営鉄道協会などの調査によると、鉄道係員に暴力を振るった加害者の年齢別では60代以上が2014年度まで5年連続でトップだった。ちなみに加害者全体のうち6割弱が飲酒しており、発生した時間帯は22~翌5時が最も多い”。老人は病院でも暴れており”職員に院内暴力などをふるった人を年齢別で見ると、暴力は70代、セクハラは60代が最も多く、暴言についても60代が2番目に多い”。犯罪も深刻で”一般刑法犯の検挙人員数を年齢別に見ると65歳以上は約4.7万人に上り、14~19歳に次ぐ水準だ。全体の数は約25万人と10年前から3割強も減少しているにもかかわらず、高齢者の数は約1割増加している。高齢者犯罪で最も多いのは窃盗で約3.5万人と断トツで10年前と比べて約3割増、暴行(約0.35万人)は約4倍、傷害(0.16万人)も約5割増となっている”という恐ろしい数字になっている。キレる老人が社会問題になっているのも当然だ。一番厄介なのは「自分はキレる老人ではない」と本人に自覚が全く無い事ではないだろうか?


もう一つの「病院に集まるヒマ老人」だが「診察が済んでいるにも関わらず、狭い待合室に何時までも帰らずに知り合いと長話をして、席を譲ろうとしない。立っているのもやっとの人もおいでなのに」という問題提起である。笑い話に病院の待合室で「最近あの人見かけなくなったけれど、病気にでもなったのかしら?」というのがあるけれど、高齢のご婦人方には憩いの場なのであろう。そしてお喋りに夢中になってしまい周囲に迷惑をかけている事にも気が付かない。病院の外来患者の待合室が老人のサロンとなってしまった原因の一つが、2008年4月に導入された”75歳以上の高齢者を対象とした後期高齢者医療制度”で、他の年代に比べ自己負担金額が軽減されているので気軽(?)に病院に通える。この制度を支えている人の中には、多くの若者も含まれている事を老人は忘れてはなるまい。


「キレる老人」は男性が多いだろうし、病院に迷惑をかけている「ヒマな老人」は女性が多いと思うと、男女を問わず社会に迷惑をかけている訳で、もうすぐ(?)老人になる私は憂鬱になってしまう。「キレる老人」に男性が多い原因の一つに「リタイアして社会との接点が少なくなってしまった」のではあるまいか?交際範囲も狭まり、アドバイスをしてくれる人もおらず、いたとしても聞く耳を持たない、その上さしたる趣味も無いので会話も少なくなってしまい、結果、コミュニケーションが下手になってしまったのだ。そこで、私がお勧めしたいのが「ブログを書く事」である。私はブログの記事を書くにあたり、新聞やTVニュースで話題になっている事は出来るだけ調べて書くようにしている。なので毎日2~3時間かかっており、その間はお酒を飲まない。飲んでしまうと、そうでなくとも支離滅裂な内容がハチャメチャになってしまうからで節酒(?)の役にも立っている。ブログを書く事で今の社会を考え、ヒマな時間も無くなるので「キレる老人」にならない為にも、是非ブログをお勧めしたい。しかし「キレる老人」はブログになど興味は無いのだろう。そういう老人に私はキレそうだが、段々余生も少なくなって来ているのでキレている時間が勿体無い。「いつまでも あると思うな その命」


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男性だけのゴルフ倶楽部と女性だけの永眠の地 [老後]

2020年東京五輪のゴルフ会場となる霞ケ関CC(埼玉県川越市)が女性正会員を認めていない事が問題になっており、国際オリンピック委員会(IOC)が差別を禁じた五輪憲章に抵触するとして改善を要請している。7日に東京都内で理事会が開かれたのだが結論が出なかったので、さらに協議を続ける事になった。ゴルフ倶楽部側も良い迷惑だろう。オリンピックのゴルフ会場に指定されたのは喜ばしいのかも知れないが、会則を変えなさいと言われた。こんな事なら、最初からオリンピックの会場になる事を辞退しておけば良かった、と考えておいでなのかも知れない。木村希一理事長も理事会終了後に「急にこんな事態になってしまったのは非常に迷惑。困惑しているというのが今の状況」だと発言している。


霞ケ関CCのCCはカンツリー倶楽部の略、なので倶楽部なのである。倶楽部とは”共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体をいう”のであるから、原則的には会員が自分達で会則を作って運営して良い筈で、女性会員を認めないという会則も許される、と私は考える。これは男女平等とは無関係の話しで、ゴルフをやりたい女性は女性会員も認めているゴルフ倶楽部など他に沢山あるのだから、そちらの会員になれば良いだけの話なのだ。倶楽部の特色をだす為に作った、女性会員は認めない、という会則を部外者がおかしいと言うのは間違いだ。今時そういう倶楽部が許されないのならば、自然消滅するだけなのであるから、倶楽部の運営方法に部外者がとやかく言うのは的外れだ。そもそも、良く調べもせずに霞ケ関CCを東京五輪のゴルフ会場に選んだ日本オリンピック委員会の落ち度ではあるまいか?


女性会員を認めないゴルフ場の話題が私の頭の中にあったので、新聞の「女性だけの永眠の地」という記事に興味を惹かれた。内容だが”墓地や納骨堂といった「終のすみか」で近年、女性専用をうたうものが目につく。「死後は夫と別の墓がいい」「気の合う独身女性土で」といった需要があるようだ。自分の最後は自分で決めたいとの意識が強まっているという見方もある”という。思わず綾小路秀麻呂の「お墓だけは別々にしてね」のギャグを思い出してしまったが、もうギャグにならないのだ。ゴルフの女性会員を認めない話しとは何の関係も無い、と思いたいが何か引っかかってしまう。そして、女性が死後の世界を心配している事にも私は違和感があるのだが、それは個人個人の考え方なので何も言えまい。家内の実家はお寺で、義兄が数十年以上前に夫婦墓というのを考えて10基売り出した。ところが売れ行きが芳しくない。帰省する度に、何基売れたかな?と楽しみに(?)見に行くが、まだ1基しか売れていない。それも奥様が先に亡くなられて夫はまだ元気だと言う。亡くなられた順序が逆ならば、果たして奥様はこの墓を選ばれたのだろうか?と考えてしまった。勿論、生前ご夫婦で相談されたと思うので私の邪推でしかないのだろう。義兄は永代供養塔も数十年前に建てており、こちらは既に数十人の方が永眠されていて、勿論、男性も女性もおいでになるが、もし男性お断りだったならばもっと人気が出るのかも知れない。逆に女性お断りだったら、誰も入るまいと思うので、ゴルフ倶楽部ぐらいは許されても良いのではなかろうか?最後も綾小路秀麻呂で「寝床別 風呂も別々 墓も別」。


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かわいいい老人 ハイカ~イ♪ [老後]

1962年に中尾ミエがアメリカの人気女性歌手コニー・フランシスが出した曲「Pretty Little Baby」をカバーして大ヒットした「可愛いベイビー ハイハイ」、勿論「ベイビー」は赤ちゃんではないのだが、「ハイハイ」を「這い這い」と勘違いしている方もおいでになるようだ。日本語の歌詞の後半に「恋をするって素敵じゃない」「今すぐ逢って そして言って 忘れられぬあの言葉 Pretty Little Baby」とあるので、恋愛関係にある女性が男性に「ベイビー」と呼んで貰いたいという歌なのだ。それでも親が赤ちゃんをそう呼ぶのも暖かさがあるし良い歌なので、ベビー用品店などでBGMとして良く流れているそうだ。

「ベイビー」は皆、可愛いのだが「老人」はどうだろう?というのは、新聞の投稿に”バスの中で初めて席を譲られた。譲ってくれた女性は「お座り下さい」と席を立ち、私から逃げるようにバスの後部座席に移動した。その折、私はバスが揺れるので足を踏ん張り、小銭を捜す為に、ぶつぶつ言いながら財布をまさぐっていた。私の姿やしぐさが、いかにも老人臭く、薄気味悪い老人と思われたのだろうか?私達の様子を見ていた妻は帰宅後「連れ合いとしてはショックだわ。他人から見ればやはり年寄りなのかなあ」と嘆いた。一方で「年のせいではないわ。元々あなたはよその人からうっとうしがられるタイプだから」と私の慰めにもならないことをつぶやく。私自身はその時は「えっ!私ですか?」と驚き、最初は「いえいえ」と固辞したのだが、「そんなに年寄りではない!」と言うのはもう無理なのかも知れない。この日は他人の厚意を素直に受け入れる「かわいい老人」になれ、という忠告の日だったのかな”とあった。投稿された方は今年で数え年で70歳で古希を迎えた兵庫県の男性だった。「今まで年寄り意識など念頭になかった」ともおっしゃっているのだが、こう思っている老人は全国に沢山おいでで、もう少しで65歳になる私もその一人で、表面はともかく、70歳になろうが80歳になろうが心の中では「年寄り扱いするな!」と思い続けるのだろう。そう思わなければ、ますます老人臭くなってしまう。それにしても奥様の嘆きは「元々あなたはよその人から(も)うっとうしがられるタイプ」にあるのだろうから、彼は老人扱いされた事よりも、この言葉の方に深く傷ついたのではあるまいか?。


「かわいいお婆ちゃん」というほめ言葉があるけれど「かわいいお爺ちゃん」も成立するのだろうか?男性に「かわいい」は似合わないような気がする。それでも老夫婦の「かわいいお婆ちゃん」には「かわいいお爺ちゃん」が相応しいのだろう。それにしても「かわいいお爺ちゃん」になるには、ユーモア、趣味、見た目、清潔が必要なのだそうで、私には前半2つはともかく、後半2つが少々荷が重い。登場時に「何か問題ありますかね?」と容姿でまず笑わせるウクレレ漫談の「ぴろき」というお笑い芸人がおいでだが、ワンステージ最後に「つらくなったとき、苦しいとき、ボクの顔を思い出してください。何の役にも立ちません!」というけれど、彼のステージを見ていると何故か和む。自虐ネタが多いせいかも知れない。だから彼の顔は私の役に立っている。私も彼を見習ってヘアースタイルを「ちょんちょりん」にして「かわいいお爺ちゃん」を目指してみようかな?でも、そうしたらバスに限らずいろんな乗り物で先客にドン引きされる「危ない人」になってしまいそうだ。


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腰痛に要注意 [老後]

朝布団から起き上がる時に腰の痛みが酷くて起き上がるのが辛く、歩き出し始めるまで5分位かかってしまう日がここ3日位続いた。こういう時に辛いのが「思い当たるふしが無い」という事だ。「重い物を持った」とか「運動し過ぎた」とか「XXXXX(勝手に想像して下さい)」とかだったらまだ解るのだが、「腰に悪い事を何かやってしまったかなあ?」と思い出そうとしても何も浮かばない。ここで「齢だから仕方が無い」と考えるのは避けたい。何故なら何の解決策にもならないからで、そう考えるにはまだまだ若いと思っているし、益々衰えを自分で加速してしまいそうな気がする。「病は気から」という諺があるように、マイナス思考は体に良くない。



ネットで腰痛の原因を調べて見たら、都合の良い(?)原因が見つかった。それは”働き過ぎによるストレスから来る腰痛”で「確かにこれだ!」と強引に決めてしまった。腰痛の原因を教えて呉れた記事には更に嬉しい事が書いてあり「体が起き上がれない程の腰痛は、仕事をしないで体を休めなさいという信号なのです」とあったので、思わず「成程!」とうなずいてしまった。私はソフト会社でバイトをしているが、肩書は”技術営業顧問”(何となく胡散臭い)、納期の迫った仕事を任されている訳ではなく、技術的なアドバイスをしたり調べ物を頼まれたりする事が多い。なので朝は9時に出社するが、夕方まで体力や気力が持たないので、午後2時か3時で帰宅する事が多かったし、週に一度は休んでいた。ところが最近「全社あげて取り組んでいます」という仕事に加わってしまったので、私宛に電話があった場合「帰っちゃいました」とは言えないので、社長から「寝てても良いから午後5時までいてね」と言われたので、仕方が無いからブログの記事を書いて時間を潰す事にした。なので最近の私のブログ記事は無駄に長い。休みたいのだが休まず、長時間勤務が2週間程続いたので疲労とストレスで腰痛が出たのだろう。「体は本当に正直だ」。この腰痛だが、腰まわりの筋肉が固くなっているらしい。触って見ると確かに硬くて「脂肪ならばこう硬くはならない筈」と自分に言い聞かせる(さすがにお腹は脂肪が付き過ぎて柔らかいけれど)。寝る前にお風呂に入り、腰の筋肉を良くマッサージをして、湯上りにバンテリンを塗って、さらにサロンパスを貼って、寝る前に腰の筋肉を和らげる体操をして、仰向けを避けて横になって膝小僧を抱えるようにして寝る、これを3日続けたら朝は痛みが無く起き上がれるようになり、まだ腰に重さを感じるがかなり症状が改善したと思う。単純な心と体に生んでくれた両親に感謝する。



腰という漢字は、肉月(にくづき)偏に要(かなめ)と書くように人体の要、腰痛になると「本当に体の要だな」とつくづく感じる。学生の頃、配送センターでバイトをしていてぎっくり腰になってしまい、寝る時など直立不動のままで布団に倒れて、起き上がる時は柱にすがらざるを得ず、滅茶苦茶辛かった。あの時に比べれば今回の腰痛など大した痛みではないが、若い時のぎっくり腰は必ず治ると信じて疑わなかったのに、今は「このまま治らなかったら?」「寝たきり老人になってしまったら?」という恐怖が頭をよぎる。それでも、反面そういう感覚をまだ持っている事が嬉しい。これが痴呆症(認知症という言葉が大嫌いだ)ならどうだろう?自分で自分がおかしい事に気が付けない、これは辛い。でも「こんな人は老人に限らず今の世の中に一杯いるんだよなあ」と思う。「痴呆症でもないのに痴呆と変わらない人はどうすれば治るんだろう?」。相変わらず記事の結論が「腰くだけ」になってしまった。


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女性はやっぱり長生きだ! [老後]

先日お昼を馴染みのお店で済ませてレジに向かったら、二人の女性客とかちあって
しまったので「お先にどうぞ」と言って順番を譲った。店員「お勘定は別々ですか?」
と女性達に聞くと「そうよ」という。先の女性が勘定をすませ、次の女性の番になった
ら「幾ら?」と尋ねた。このお店のメニューには税抜きの値段しか書かれておらず、
請求書にも合計金額に消費税を掛けるので、自分のお勘定が消費税込みで幾らな
のかは計算しないと解らない。「756円です」と答えたので、私は700円に消費税の
8%掛けると56円なので,「それ位計算できるでしょう」と思ったのだが「まあいいか」
と考える事にした。そうしたら女性はバッグから財布を取り出した。「前の女性が支
払いをしている時に暇だった筈で、その時間何をしていたの?」と思う。そして財布
を出して小銭を集め始めたが、結局無かったらしく千円札を出して支払い店の出口
に向かった。私の番になったら「お待たせしました」と店員がその女性客にも聞こえ
るように言ったような気がした。待たされた時間は1分間も無いのだが、こういう目に
遭っている男性は結構多いのではなかろうか?お昼の混雑時なので、お店によって
は”お支払いは一括でお願いします”の貼り紙をレジで見かける事もある。女性はこ
の程度の事ぐらいでいらいらなどしないのだろう。「長生きしたけりゃ見習いな!」



日本の平均寿命は、2015年度は男性が80.79歳で女性は87.05歳なので差
は6.26歳になる。”美人薄命”という諺があるので、長生きの女性は..止めます。
私はレジで現金でお金を払わなくてはいけない場合は、小銭入れをかき回して99
円が作れないかと試みる。そうすれば金額が幾らであっても支払いにもたつかない
で済むからだ。そうでなくても年寄りがもたもたしていると思われるのが悔しいので
何時からかそういう習慣が身に付いてしまった。これだから「俺は短命だろうなあ」。

車で買い物に出かけ、お店の駐車場が一台ずつ駐車して後続が待たされるという
狭い駐車場を良く見かけるが、女性は真っ先に見つかった場所に入れたがる。それ
も運転が下手なのにバックで入れないと気が済まない。そうすると、後続車は女性
の車が完全に駐車するまで待たされる。正直何回も切り返しをして駐車されると、い
らっとする。娘もそうだったので「少し歩く距離が長くなるけれども、2~3箇所は見逃
して駐車するようにすれば後続車に気を使わなくても良いので楽だよ」とアドバイス
をしたのだが「私は後続車などに気を使わないので平気」という答えが返って来た。



交通量の激しいT字路があって、私は左折で車の途切れるのを待っていた。ふと右
を見たら女性の運転する車が右折で出ようとしていた。彼女の車は完全に対向車
線にいる訳で、「車が来たらどうするのだろう?」と思っていたら、案の定右折で入ろ
うとする車が現れたのだが、道は彼女の車でふさがれているので彼女の車を出さな
い限り自分の車は入れない。なので彼女が出て来るのを待つしかなく、彼女はそれ
を期待していたかのように出て行った。「こんな運転が許されて良いのかな?」とぼ
んやり考えていたら、出そびれてしまった。車を運転していてつくづく思うのだが、女
性に道を譲ってあげる事は沢山あるが、逆に譲って貰った事などほとんど無い。

新聞のお笑い投稿記事からの引用だが”保育園で働いている56歳の女性、1歳に
なる園児に白雪姫の絵本を読んであげると、悪い女王が怖い顔をしているシーンで
「ママ」と指差す。お迎えに来たお母さんに白雪姫の絵本を見せると「ママ」って言う
んですよ、と伝えるとママは真っ赤になって恥ずかしそうににっこりした。”「このママ
は長生きするだろうなあ」と思う。私が今度生まれ変わったら両性の良い所を持った
オネエかオカマになろうかな?又しても「それじゃ、駄目じゃん!」になってしまった。


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何を忘れたかも忘れる日々 [老後]

1年振りに武蔵小杉の会社に行く事になった。所沢から横浜の中華街に直通の電
車が、時間帯にもよるが1時間に2本出ていて、乗り換えなしで行ける。打ち合わせ
に遅れては大変なので大抵余裕を持って30分前には到着出来る電車に乗る。駅
に着くと当然時間があるので「このビルの3階に本屋があった筈だ」と思い入った。
取り立てて買いたい本も無いのだが、文庫本のコーナーはタイトルと表紙を観てい
るだけで楽しいので良く立ち寄る。「東海林さだおの丸かじりシリーズが出ていたら
買おうかな?」と思ったら東海林さだおの本は3冊だけあって、そのうち2冊が丸か
じりシリーズだった。このシリーズで困るのはタイトルがどれも似ている事で、例えば
「さんま、ゆで卵、アンパン、目玉焼き、...」の下に「...の丸かじり」が付くのだ。



はっきり言って、中身も似たようなシリーズなので、「はて、これ読んだかな?」とパ
ラパラと中身を見るのだが、持っているのかどうか解らなかった。仕方が無いので、
発行日を見ると2016年6月と2015年6月なので大丈夫と思いレジに向かった。
「有隣堂」という書店で「カバーをおかけしますか?」と聞かれたので「お願いします」
と応えると、「どの色になさいますか?」と指差された紙にはカバーの色が10色以
上あった。2冊買ったので本当は違う色にしたかったが、レジには行列が出来てい
たので素早く決めねばと思い、一番左の紺にした。打ち合わせが終って帰りの電車
の中で読もうと考えていたので、バッグのサイドポケットを開けて入れようとしたら、
中に既に2冊文庫本が入っていて、カバーの色も入れようとしていたカバーと同じだ
った。「まさか?」と思って入っていた2冊をめくったら2冊とも「東海林さだおの丸か
じりシリーズ」だった。「同じ本を買ってしまったのかな?」と思ったら、違っていてほ
っとした。それでも2冊とも、しおりの位置からしても半分も読んでいない事が解る。
勿論、内容など記憶にないので新刊を買ったのと同じだ。つまり、1年前とまったく
同じ行動をした事になる訳で我ながら呆れてしまう。カバンなど会社に置きっ放しだ
し、本を買ってカバンに入れた事などもすぐに忘れてしまっているのだろう。困った。



最近、こんな経験は珍しくない。最初の頃は「俺も齢を取ったなあ」と悔しかったが
近頃「最近自分にがっかりした事があったけれど、なんだったかな?まあいいか!」
で済ませてしまう。そろそろ鏡を覗いても「お前は誰だっけ?」と言いそうになりそう
だ。前に書いたかどうかも忘れてしまったジョークだが(書いてるに決まっているが)
「ボケ防止の本を買って来たからもう大丈夫だ!」とお爺さんが言ったら「昨日もそ
の本買って来た」と孫に言われた、という話。案外長生きするのではあるまいか?

東海林さだおの丸かじりシリーズだが、面白いのでお奨めします。漫画はあまり好
きではないが、エッセイは面白いし挿絵も秀逸だ。食べ物に対する好奇心が物凄く
て人がやらない食べ方や、人がやりたい食べ方を実際にやって記事にしているの
が楽しいし、値段も安いものばかりで「真似してみようかな?」と思えばすぐ実行出
来る。例えば「スイカを丸ごと1個食べる」話があるのだが、スイカを切らずに皮を全
部剥いてボール状のままかじりつくのだ。正にスイカの丸かじりで、思った程美味し
くなかったような結論だったと記憶している。こういうのって、読み終えてから真似し
たいようなしたくないような微妙な気分になる。こういう話で一杯なのでお奨めする。

この記事を書こうと思って、バッグは絶対に家に持ち帰ろうと朝家を出たのだけれ
ど、見事に忘れて帰宅した。なので所々記憶で書いている。近々、又武蔵小杉に行
く予定になっているのだが、行く度にバッグが重くなりそうだが、まあいいか。


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