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「ノーナレ」番組?のうなれば嬉しいかも [TV]

記事タイトルを翻訳すると”「ノーナレーション」番組か、成程「ナレーション」が無くなれば嬉しいかも知れない”の意味である(いつも通り、ちょっと苦しい駄洒落になってしまった)。新聞のTV番組表を見て、NHK欄に「ノーナレ 元ヤクザが開くうどん店に密着!知られざる第二の人生」という番組を夜10時から放送する事を知ったのだが、この「ノーナレ」が私には解らなかった。「脳慣れ?NO慣れ?違うなあ」と思いながら、「ノーナレーション」の略であることに10秒程かかってようやく気が付いた。それにしてもNHKは「シブ5時」等のタイトル名の番組を放送して良いのだろうか?と思う。この「シブ」が「渋谷」である事を理解できない人が全国にかなりおいでなるのではないかと思う。NHK放送センターが東京都渋谷区にある事から付けられたらしいのだが、「シブヤ」の「ヤ」を取っただけで意味不明になっていて、縮めれば良いというものでもあるまい。民放ならともかく「公共放送が日本語を乱してどうする!」と文句の一つも言いたくなる。「ブラタモリ」も...止めておこう。


ひとくさり「ノーナレ」「シブ5時」にいちゃもんをつけさせて頂いたが、番組は素晴らしかった。「ナレーション」とは「解説」の意味だと思うのだが、余分な解説を省いた番組が観ていてこんなに惹きつけられるとは思わなかった。テーマが「元ヤクザ」という事もあったのかも知れないが、解説が無いので映像を真剣に観ていないと製作者が伝えたい事を見逃してしまう。普通、この類のTV番組には必ず声の解説があり、映像から目を離しても聞こえてくる解説で理解した気分になっているんだなあ、と気付かされた。つまり、解説を頼りにしてろくすっぽ画面を観ておらず、下手をすると解説通りの映像が映っている事を確認しているだけになっている。番組は「元ヤクザ」がうどん屋を開いて第二の人生を歩もうとしているのだが、ナレーションが無いので「元ヤクザ」が何を考えているのか?は目を見て自分で考えるしかない。番組は数人の「元ヤクザ」が一生懸命立ち直ろうとしている表情や振る舞いを映すだけだったので、余計に迫力があった。ドキュメンタリー番組等は「ノーナレ」で良いのではあるまいか?


スポーツ番組の「ノーナレ」はどうだろう?私が嫌いなのは、ズバリ「ゴルフ番組の戸張捷」この人がビッグトーナメント等で、とうとうとウンチクを垂れる解説には辟易する。逆に大好きなのが「プロ野球の桑田真澄、江川卓、古田 敦也」で技術や選手の心理状態を教えてくれるので、聞いていて楽しい(元阪神の川藤など、解説になっていないが勘弁してやって下さい)。そして「大相撲の北の富士と舞の海」だが、北の富士が老人(?)になって来た事もあって、最近ますます二人の解説のやり取りが面白い。それにしても、勝った力士が息も絶え絶えだったり、感極まっているのにインタビューに応えなければならないのは、見ていて気の毒にさえなる。それこそ「ノーナレ」の方が勝った力士の感動が伝わって来るのだと思う。私はこれまでスポーツは解説付きで観ていたのだが、プロ野球中継も解説無しで観られる時代なので、スポーツも「ノーナレ」で観る事にしようかな?その方が見えて来るものが多いのかも知れない。「解説の 自慢話に うんざりし」


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教養の強要 NHKドラマ「悦ちゃん」 [TV]

NHKの土曜夕方6時からのTVドラマ「悦ちゃん」は第三話「ワンピース風水着」が終わったところで、全8話だそうだ。「悦ちゃん」の父親役のユースケ・サンタマリアの前宣伝が面白かったので観る気になったのだが、期待通りに主人公の柳悦子(平尾菜々花)との会話が楽しい。「悦ちゃん」の副題が「昭和駄目パパ恋物語」となっていて、原作は獅子文六が1953年に発表した「娘と私」、なのでドラマにかなりのレトロ感がある。粗筋は「娘を残して妻に先立たれた男が再婚し、娘を結婚まで育て上げるまでの過程を描いた」もので、自伝小説でもあるとか。もう、何度もTVドラマや映画になっているので、御覧になっている方も大勢おいでだと思う。第三話はユースケ・サンタマリアが演じる柳碌太郎が、日下部財閥の令嬢である日下部カオル(石田ニコル)に気に入られ、彼女に避暑地である千葉・勝山の別荘に娘と招待される。「悦ちゃん」も水着を買って貰い、おおはしゃぎで向かったのだが、待っていたのは「家庭教師付きの勉強部屋」で、結局5日間の滞在だったのだが、一度も泳げずじまい。不満げな「悦ちゃん」に令嬢が「子供は遊ぶ事よりも教養を身に付けるべきです」と言い放つ。観ていて「教養の強要だな」(やっとたどりついた)と感じた。結局、碌太郎はカオルとの縁談を断る。(当たり前)


昔、漫才コンビのギャグに「知識と教養が邪魔をして..」というのがあったと思うのだが、コンビ名をネットで調べてもはっきり判らなかった。多分だが「リーガル天才・秀才」ではあるまいか?このコンビが受けたギャグに”(秀才に知識の誤りを指摘されて)「色んな知識を詰めすぎちゃってるから、ポロッと関係ない言葉が出てきちゃう、もうかき回そう(頭をかき回す)」(天才)、「何がかき回そうだ!」(秀才)、「邪魔だねぇ、教養は!!」(天才)、「やかましい!!」(秀才)”、”「彼女とは何となくラベルが違うんだよ」(天才)、「それを言うならレベル」(秀才)、「あの先生、違ったこと教えたな… 駄目だな東大も」(天才)”、”「涙から目がポロポロ、ポロポロ」(天才)”、”「疑いのナマコ(眼)」「ナマザシ(眼差し)」(天才)”等々があるが、現代では受けないだろうな。それにしても漫才のコンビ名に「天才・秀才」と付けるセンスが光る。今時の漫才コンビも、いい意味で、こういったコンパクト、違ったインパクトのある名前を付けられぬものか?と何時も思いながらTVの漫才番組を見ている。


ギャグの中で気になったのが「知識」と「教養」の違いと、そもそも「教養とは何ぞや?」である。何となく理解しているつもりでいたのだが、私に教養がないので明確な答えが出ない。頼りのネットで調べたら、私と同じような疑問を持った人が「ヤフー知恵袋」で「教養とはなんですか?また、人間に教養はなぜ必要なのですか?」と質問しており、その回答が「辞書の引き方も知らないのですか?」「あなたね、そういうものをここで聞いてはいけませんよ」だった。この回答から判ることは「知恵袋とは調べれば判る知識の袋である」「知恵袋の質問者と回答者には教養が無い」だ。感心したのは、別の人がやはり同じ質問をしたら「教養とはその人が学習して得た知識を全て取っ払った後に残るもの」という回答だった。「悦ちゃん」がいくら勉強しても、それは「知識」に過ぎず、もっともっと人間をやり、経験をつまなければ「知識」が「教養」に変わらないのだろう。自分の事を棚に上げて言ってしまえば、一生かかっても「知識」が「教養」にならない人が多いし、そんな区別もつくまい。「能ある鷹は爪隠し 能あるブタはへそ隠す 能無し犬の高吠え」


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九州豪雨災害と松居一代氏のTV報道に違和感 [TV]

毎週日曜日の夜10時頃からフジTVで放送している「Mr.サンデー」をたまに観る事がある。この時間帯他のTV局はドラマやバラエティー番組なので、あまり見る気にならないし、司会が宮根氏という事もあり柔らかいニュース番組になっていて、気楽に観る事が出来る。明日から又一週間が始まると思うと早めに就寝しなければならないので、午後11時頃に終わるのも助かるし、貴重なニュース番組だと思う。ところが、先日9日の番組は普段と違っていて、松居一代氏が電話で生放送番組に出演したいと言うのだ。結果的には宮根氏の判断で、声による生放送出演は無かったのだが、ユーチューブで流れていた画像が流れた。はっきり申し上げて、日曜日の夜のゴールデンタイムに近い時間帯に報道すべきニュース(?)だろうかと疑問に思ったし、もっと報道すべきニュースがあるだろうに、と不愉快になって早々とTVを消して寝てしまった。


この番組を観る数日前、朝TVをつけるとどの民法局も松居一代氏の話題を取り上げていたように思う。さすがにNHKの「朝イチ」は普段通りだったけれど、どうして日本の民放局は局独自のカラーを出さずに、右ならえなのか不思議で仕方がない。他局が取り上げるならば、自局は別なニュースを流そう、と何故思わないのだろうか?それはともかく、松居一代氏の話題ならば途中でチャンネルを切り替えてしまうので、民放全局が取り上げるほどのニュースとは何なのか?が判らなかったし、知りたくも無かった。ところが観たい番組が無いので「Mr.サンデー」を観ていたら、松居一代氏を取り上げていたので、仕方なく少しだけ観る事にした。内容だが「単なる夫婦喧嘩」で、これはニュースなどではなく、スキャンダルで、詳細を書くのも阿保らしいので止めるけれど、言いたいのは、九州豪雨災害のニュースの後に何故こんな私的なスキャンダルをTVというメディアを使って流すのか?という事だ。それこそ、ブログやユーチューブや週刊誌で興味のある人だけが見られるようにやって欲しい。率直に申し上げて、松居一代夫妻の事などどうでも良くて、私には売名行為にしか見えないし、番組で放映されたユーチューブの動画も「なんでこんなもの見せられなければならないのか?」と腹立たしかった。


この話題とは内容が全然違うけれど「小林麻央さん訃報」のニュースも観ていて複雑な気持ちだった。「小林麻央さん訃報」など、ご家族や親族をそっと見守るだけにとどめるべきだったのではあるまいか?小林麻央さんも含めて、芸能人や有名人の告別式でTVのインタビューに応えている人を良く見かけるが、インタビューをする方もする方だが、応じる方も応じる方で呆れる。TVは告別式の様子の映像を流すだけで十分であり、マスコミが肉親や縁故者の内面にまで土足で踏み込む権利はあるまい。冒頭の宮根氏が松居一代氏の声の生出演を断った理由が「当事者の方の一方的な主張を生放送でノーカットで流すのはお約束できない」だったが、ならば何故ユーチューブの動画を流すのか?船越氏の了解を得ているのか?そもそも「Mr.サンデー」で取り上げる話題なのか?視聴率を稼げるならば何でも有りなのか?少なくとも九州豪雨で被害に遭われた方のニュースの後の話題では無い筈で、災害に遭われた方も、TVをご覧になって(ご覧になれたのかは判らないが)違和感を感じられたのではあるまいか?昼のワイドショーの感覚で、九州豪雨災害と芸能人の痴話喧嘩を同列に取り上げられては、被災者が気の毒だ。「芸能人 芸が無い人 恥部を見せ」


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武田鉄矢の水戸黄門、武器はヌンチャクと素手 [TV]

「livedoorNEWS」から引用させて頂く。
”10月から放送される時代劇『水戸黄門』(BS-TBS)の主人公・水戸光圀に起用された武田鉄矢が“仰天プラン”を提案したことで、演出スタッフが困惑しているという。
「金八先生のイメージが強い武田ですが、庶民の味方であり、世直しの旅をする黄門さまもハマリ役となりそう。しかし、武田の“ある要望”をめぐって、スタッフとの間に亀裂が生まれつつあるというのだ。「どうも武田は“アクティブな黄門さま”を演じたいようなんです。歴代の黄門さまは戦いになると、助さん、格さんの陰に隠れて守られていることが多かったが、武田は過去作品との差別化を図るため、自らも戦う黄門さまにしたいと言いだした。打ち合わせの席では『杖が突然、ヌンチャクや鎖鎌に変わるような武器を使って殺陣をやってみたい』というプランを披露。挙げ句、印籠も見せないまま暴れまくるというのには、さすがに演出家もイライラしてきているといいます」”


こんな「水戸黄門」を観たいと思う人が何人いるのだろうか?私は武田鉄矢の主演映画「刑事物語」を観た時に、ハンガーヌンチャクよりも彼の肉体美に吃驚した。下手なプロレスラー顔負けの鍛えられた筋肉の持ち主だとは、彼の風貌から想像も出来なかったので、そのギャップにも驚いた。なので、今回彼が言い出した「水戸黄門像」も彼の自慢の肉体を考えれば、何となく理解出来る。しかし、本人がスカッとしても、観ているほうに、もやもやが残るのであれば、せっかくの「水戸黄門」が台無しになってしまう。暴力で悪人を成敗する新しい時代劇になるのかも知れないが、水戸黄門の年齢設定を考えるとそんな体力がある筈もない。杖をついて歩き、終盤になってようやく懐から印籠を出す程度の体力しか持ち合わせていないのだから。印籠に「すっぽんエキス」が入っており、一口飲めばスーパー爺さんに変身し、悪人を必要以上に痛めつけてしまう、そんな「水戸黄門」は「身を拷問」でしかない。第一、助さん角さんの立場はどうなる?せいぜい、いきり立つ水戸黄門を羽交い絞めにして「その位で勘弁してやっておくんなせえ」のセリフ位しか言えないのではあるまいか?武田鉄矢のプランでは全国を行脚して各地に敵を作ってしまうだけのような気がするし、力で悪人を懲らしめても、悪人は腹いせに弱い百姓や町人をいじめるので、暴力では何も解決しないのだ。


冗談はこの位にして、気になるのは配役だ。はっきり言えば、私には助さん角さんが誰になろうが興味はないが、ここは思い切って、サンドウィッチマンかノンスタイルにして「水戸黄門」の既成概念をぶち壊してはいかがだろう。ノンスタイル井上の必殺技は”あて逃げ”なんかが良いと思う。そんなことより問題(?)は由美かおるが演じていた「かげろうお銀」を誰にするか?だ。この配役で武田鉄矢の「水戸黄門」が成功するかどうかが決まる。もっと言ってしまえば、いっそタイトルを「かげろうお銀」にしたら大成功間違いなしだと思う。ただし、老人が夜観る番組なのであまり刺激の強い女優は体に良くない。例えば「橋本マナミ」なら、興奮し過ぎて具合が悪くなった老人の家族が救急車を要請する電話が殺到するので、全国の救急車がてんてこ舞いするはめになってしまう。なので「泉ピン子」あたりが無難ではなかろうか?彼女が入った後のお風呂は、お湯が無くなってしまうので、最後に入らなければならないけれど、そもそも彼女ならば入浴シーンも有り得まい。もしかすると、角さんも助さんもやられ、黄門までも倒されても、彼女の恫喝で窮地を救われるような気もする。妄想はこれ位にして10月に始まる「武田鉄也の水戸黄門」を楽しみに待つ事にするか?多分、私は「橋本マナミ」じゃないと観ないけれど。
「見たいのは 印籠じゃなくて 入浴シーン」


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時代劇は永遠に不滅です [TV]

国民的テレビ時代劇「水戸黄門」が今秋、BSTBSで武田鉄矢を主演に迎えて6年ぶりに復活するという。他のキャストは未定だとか。朝日新聞の土曜判には「be」という別刷りが入っており、その中に「between 読者とつくる」というアンケート欄がある。今回のアンケートは「時代劇は好きですか?」だったのだが、「はい61%」「いいえ39%」だった。昔、定年退職した先輩が会社を訪ねて来た時に「今の楽しみは何ですか?」と訊いたら「夕方、水戸黄門の再放送を観る事」と言うので、随分歳をとられたなあと思ってしまった。失礼かもしれないが「水戸黄門の再放送が楽しみ」は完全に老人になってしまった証拠のような気がする。人の趣味だし、観方も様々なので他人がとやかく言う事もないのだが、時間がもったいないような気がする。何故「水戸黄門」が人気なのかは良く解る。勧善懲悪のワンパターンで、最後には必ず悪が成敗され、溜飲が下がるからだ。現実ではこうならない事が多いのでなおさら気分がスッキリするのだろう。時代劇が好きと答えた人の理由の第一位から紹介すると「歴史に感心がある」「勧善懲悪でスッキリする」「日本の原風景が見られる」「セットや小道具が興味深い」「アクションが面白い」と続いている。嫌いと答えた人の第一位は「現実離れし過ぎている」「予定調和でつまらない」「感情移入出来ない」「年寄り臭い」「歴史に感心がない」「史実を歪曲している」で、私も「水戸黄門」に対してはは同意見である。


私は時代劇が好きだが「水戸黄門」だけは勘弁して欲しい。「印籠一個で何を偉そうに」「権力を振り回すな」「たまたまその身分に生まれただけ」「世直しなら小さな悪より御政道を正せ」「世の中そんなに甘くない」「所詮、庶民の暮らしなど解るまい」「助さん角さんがいないと勝てないくせに」「うっかり八兵衛の軽口がうっとおしい」「由美かおるの入浴シーンをもっと増やせ」と突っ込みたくなる。「好きな時代劇シリーズは?」のアンケートには「鬼平犯科帳」「大岡越前」「水戸黄門」「必殺シリーズ」「遠山の金さん」「剣客商売」「暴れん将軍」の順位だった。11位に「てなもんや三度笠」が入っていたのが懐かしかった。コメディアンの藤田まことが「必殺シリーズ」で凄みのある中村主水を演じるとは誰が想像しただろうか?私がこの順位を見て不満に思ったのはNHKの時代劇が一つも入っていない事だ。水、木、土曜日もやっていたのだが、私が好きだったのは金曜時代劇で古くは「文五捕物絵図」「天下御免」「赤ひげ」「御宿かわせみ」「腕におぼえあり」「はんなり菊太郎」「慶次郎縁側日記」「陽炎の辻」等々、もう数え上げたらきりがないので止めるけれど、私がNHKの時代劇が好きな理由は「CMが入らないから」だ。民放はすべてCMが入るので、折角時代劇の雰囲気を味わっているのに、外国人女性タレントが陽気に洗剤のCMをポップな音楽で見させられると興ざめしてしまう。NHKには大河ドラマだけでなく、時代劇をもっと放送して欲しいのだが、今はBSNHKの金曜日「立花登 青春手控え2」しかないのは寂しい限りである。バラエティや現代ドラマは民放に任せても良いのではあるまいか?


時代劇はちょん髷だけでは成り立たない。それが似合う街並みや風景や文化、言葉も必要だ。だが、時代考証を忠実にやってしまうと言葉一つでも現代人には理解出来ないので、時代劇には良い意味での嘘があって始めて成り立つのだろう。だから八兵衛がうっかり「ファイト」と言ってしまっても許して欲しい(都市伝説だがガセネタ)。時代劇を観ていて「日本にもまだこんな風景が残っているんだなあ」と感心や安心してしまう場面が多く、その事も時代劇の人気を支えているのだろう。「顔を見りゃ 善悪ばれてる 時代劇」


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今頃になって小林薫の「深夜食堂」にはまる [TV]

私はアマゾンのプライム会員なので、「アマゾンビデオ」を無料で観る事が出来る。数年前はあまり観たいと思うTVドラマや映画が無かったが、最近は内容も充実している。私が「アマゾンビデオ」を見るのは、寝床に入ってからなので午後11時位だろうか?夜中に目が覚めてしまい、ユーチューブの動画などにも飽きてしまった時にも観る。数年前にタブレットを手に持たずとも仰向けで観れる器具を100円ショップ等の部品で自作した。以前は7インチ程度のタブレットだったが、最近10インチに換えたので、この器具が無いと益々手が疲れて仰向けでは観賞出来ない。そもそも、本当は眠りたいのだが眠れないので観ながら安らかに(?)眠れるような作品を選んで、観ている内に寝てしまっている事が理想、なので過激な内容のTVドラマや映画はあまり観ない。その中で、見始めてからもう1年以上経つのが「深夜食堂」で、主人公の小林薫がNHKの大河ドラマ「おんな城主直虎」に出演しているので、彼を見て「深夜食堂」を思い出して観たりもする。第一話が2009年10月に放送され、全40話あるそうで、私は昨夜もシーズン3の第25話を観た。CM抜きなので23分位で観る事が出来るし、冒頭のナレーションは毎回同じなのでそれを飛ばして観れば20分位で観れるのだが、やはり冒頭にかかる鈴木常吉の歌うオープニング曲「思ひ出」を聞きながら、新宿の大ガード下をくぐり抜け歌舞伎町、花園界隈と思われる映像、そして小林薫の作る「豚汁」(やけに豚肉が少ない)と「そんな時間に客が来るのかって?それが結構来るんだなあ」のセリフを聞かないと観た気がしない。40話全部見終わってしまったら困るなあと思ったが、半分寝ながら観ているので、又第一話から観ても新鮮な事に気が付いた。


「深夜食堂」を御存知無い方の為に少々補足すると、このドラマは漫画が原作で、新宿・花園界隈の路地裏にあると設定されたマスター1人で切り盛りする小さな飯屋で、営業時間は深夜0時から朝の7時頃まで、メニューは豚汁定食、ビール、酒、焼酎しかないが、マスターができるものなら言えば何でも作ってくれる。お酒は一人3合までだったかな?毎回、お惣菜のような食べ物がタイトルで、その食べ物にまつわるエピソードを持ったゲストが登場する。番組の最後には、その食べ物の料理のコツをちょっぴり紹介してくれたりもする。この、毎回登場するゲストだが日本の俳優陣の層の厚さを感じる。私が知らないだけかもしれないが、今までTVや映画で見た事もない俳優が毎回次々と登場して様々な人生を演じてくれる。勿論、店には常連客もいてヤクザの剣崎竜を演じるのは「孤高のグルメ」でも有名な松重豊で、第一話「赤いウィンナーと卵焼き」に出てくるタコウィンナーがこのヤクザの大好物という設定が笑える。他にもオダギリジョー、不破万作、 綾田俊樹、山中崇が常連役として時々顔を出すが、小林薫の存在感には適わない。


第二話以降のタイトルを紹介すると「猫まんま」「お茶漬け」「ポテトサラダ」「バターライス」「カツ丼」「タマゴサンド 」「ソース焼きそば」「アジの開き」「ラーメン」と続く。観ていると、時々私も思わず食べたくなってしまう。第24話の「紅しょうがの天ぷら」だが、私は細く切られた紅しょうがをかき揚げのようにして食べるのかな?と想像していたら、見事に裏切られて、丸ごとの紅しょうがを薄くスライスして天ぷらに仕立てる。一見、魚肉ソーセージを薄くスライスして揚げたのかな?と思ってしまうような出来上がりだ。この料理は関西の「真の庶民の味」だそうで、お惣菜として良く売られている。このドラマを観ていると、人には忘れらない食べ物がある事をつくづく思い知らされる。私の場合は子供の時に母が作ってくれたカレーで、エスビー食品の赤缶カレー粉と小麦粉、そして肉の代わりにソーセージが入っていた。調べて見たら今でも売っていたので、作ってみようかな?と考えたが思い出が壊れそうなので止めた。「子の帰省 朝からカレー 作る妻」(ネットから借用)


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身も蓋も無いTVドラマタイトル「人は見た目が100%」 [TV]

「人は見た目が100パーセント」は、このところ低迷が続くフジTVのドラマタイトルで、13日木曜日午後10時に第一回の放送があったので期待して観たのだが、私にはイマイチだった。フジTVのドラマが何故面白くないのか?が解るような気がした。私がこのドラマを観る気になったのはタイトルが気になったからで、そう言っちゃあ身も蓋も無いでしょう、と思う。この「身も蓋も無い」はもう死語だろうか?フーテンの寅さんの「それを言っちゃあおしめえよ!」にとってかわれたような気がしないでもない。それでも「身も蓋も無い」は「おしめえ」ではなくて、まだちょっぴり救いがあるような気がする(無いか)。私などは、今でも結構使っている言葉なのだが(どんな時だ)、語源が解らないので調べて見たら”あまりにも率直すぎて、含みや味わいがないこと。また、それによって話が続かなくなることのたとえとして言う。「身」は容器の蓋に対して、物を入れる部分のこと。 身も蓋も無くて入れ物として成り立たないことからである”。「そんな事調べて何になるんだ!」とお叱りを受けそうだが、そう言われると「身も蓋もない」。サンドウイッチマン富沢が「実も豚もない?」と、伊達に逆突っ込みそうなフレーズではある。


私がこのドラマをイマイチと申し上げたのは、私が爺さんだからだと思う。ファッションやヘアメイクになどさほど興味が無いし、ましてや化粧やオシャレなどには無縁だからだが(本当は女装趣味があったりして)、女性には大ブレークしそうな予感がする。実際にこのドラマの原作は、現代女性のリアルな心情を描いてきた大久保ヒロミが手がけるコミック『人は見た目が100パーセント』で、10~40代という幅広い層の女性から圧倒的な支持を得ている。ストーリーは3人の女性を軸に展開され、主役は勿論、桐谷美玲なのだが、お笑い芸人のブルゾンちえみが凄く気になった。これで、女優初デビューというのだから恐れ入る。それにしても、最近のTVドラマは漫画が原作の作品が多い。それならば私の大好きな佐々木倫子の「おたんこナース」もとっくにTVドラマになっているのかな?と思って調べたがまだだった。観月ありさの出ていたドラマに「ナースのお仕事」というタイトルがあったが、まったく関係なしだそうだ。


綾小路きみまろの名言「人は顔やカタチじゃない、大事なのは見た目!」を思い出してしまった。私などひねくれているので、この言葉がすんなりと頭に入って来ないのだが、見た目には内面も含まれているのだと思えば納得出来る。しかし、昔読んだ女性漫画(チッチとサリーかな?)のセリフに「女は顔じゃないわ!心よ!」と女友達同士が慰めあった後「私達、心だけ生まれて来れば良かったわね!」と泣きながら抱き合う本音が笑えた。私はもうすぐ65歳で、それまでに様々な人との出会いがあったが、その経験から言わせて頂くと、人は見た目が100%だとは思わないし、見た目はほとんど関係が無くて、逆に見た目を気にする人ほど内容が伴わない事が多かったと思う。だからと言って「見た目」も大事で、特に女性には最重要課題なので化粧をするのだろう。ノンスタイルの石田のセリフに「化粧に2時間もかければ、それはもう化粧ではなくて作品ですよ!」というギャグがあるけれど、私は化粧した事が無いので女性の気持ちが解らない、なので今度化粧に挑戦してみようかな?(近頃、春の陽気で私の頭は益々おかしい)。「厚化粧 落としてしまうと 貴方だれ?」


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ロスト「東京タラレバ娘」と「カルテット」 [TV]

もう終わってしまってかなり時間が経ってしまったが、2つ共大好きで毎週見ていたTVドラマだった。その前の「逃げるは恥だが役に立つ」も途中から見始めたら、星野源の魅力にはまってしまい最後まで見てしまった。それにしても星野源はNHKのLIFEにも「うそ太郎」で出演していたっけ。私はLIFEを観ていてもあまり笑えないけれど、笑わせようとするネタは伝わって来る。少し頭で考え過ぎのコントでは?と毎回観ていて感じた。私が笑ってしまうのは計算された笑いではなくアドリブのところだ。それにしても星野源は1人でシンガーソングライター、俳優、文筆家と何役もこなし、本を読んだ事はないけれど、多分面白いのだろう。いっそうの活躍を期待します。


「東京タラレバ娘」の魅力は何だったのだろう?ドラマのコンセプトだろうか?「逃げるは恥だが役に立つ」も漫画が原作で、今時の漫画のストーリーは良く出来ているなあと感心してしまう。年寄りの私が言うのも何だけれど、今時の若い大人が良く描かれている。主人公は女性3人なのだろうが、やはり主役は吉高由里子だろう。彼女は映画「ロボジー」で私が気になる女優になってしまった。演技はさほど上手いとは思わないけれど、彼女にしか出来ない役があるような気がする。女性3人で大島優子の父親が経営する居酒屋「呑んべえ」での女子会のシーンが毎回何度かあるのだけれど、壁に貼ってある色紙が気になったので、録画しておいて再生時にポーズをかけて読んで見たら「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」だった。いかにも居酒屋に貼ってある色紙の文句だよなあ、と細かい処にまでこだわって製作している姿勢に脱帽。


最後に「カルテット」だが、私は松たか子と満島ひかりが大好きで、しかも音楽がからむストーリー展開なので余計に面白かった。ラストに流れる椎名林檎の歌う「おとなの掟」も、それと一緒に写される映像も凄かった。それにしても、このドラマは名言が多かった。朝日新聞の「折々のことば」にも取り上げられていたのが「泣きながらご飯食べたことある人は 生きていけます」で本当にそう思う。他にも「嘘つきはオトナの始まり」「夫婦って 別れられる家族なんだと思います」「告白は子供がするものですよ、大人は誘惑してください」「ゴミを捨てない人間はゴミから見てもゴミです」等々、独特な空間の中で独特な間で言われると、思わずはっとしてしまう事が何度かあった。こういう間は松田龍平と高橋一生が加わった4人がいるからこそなのだろう。カルテットの名前がドーナツホールというのも洒落ていて、いかにも4人に相応しい。NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」で「ドーナツの穴を残してドーナツを食べられるか」という会話を思い出した。穴がなければドーナツではないが、穴は何の役にも立たない訳ではなくて、ドーナツには不可欠な穴なのだ。そういう意味も込められたカルテット名なのだろう。このドラマに続編があるような気がするのは私だけだろうか?続編を作って貰わないと、穴だけ残ってしまったような気分の私はどうすれば良いのだろう?「音楽っていうのはドーナツの穴のようなもんだ 何かが欠けているやつが奏でるから音楽になるんだぜ」


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森友学園ニュースはフェイク? ドキュメンタリーの虚実 [TV]

新聞に「ドキュメンタリーの虚実」のタイトルで記事が載っていて、興味深かった。良くTVドラマの最後に「このドラマはフィクションであり登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです」の断りが写されるけれど、私などひねくれているので「当たり前じゃないか、現実にこんな事があってたまるか!」と思う程、ストーリーに無理がある事が多い。こんな順風満帆や不幸の連続、偶然の重なり過ぎ、しまいには主人公の給料ではこんなマンションやファッションは無理だろう、とドラマに突っ込みを入れながら観ている始末である。これは、トレンディドラマといわれたバブル景気時代に制作された日本のテレビドラマに特に多かったが、今でも結構有りがちだ。嘘だと思うなら観なければ良いものを、その嘘が面白くて観ているのだから我ながら呆れるが、私でなくともこう感じながらTVドラマを観ている人は沢山おいでだと思う。この断りは現実と架空の区別がつかない人や、自分を勝手にモデルにしている、などと変な文句をTV局に言ってくる人がいる為なのだそうだ。ドラマに出てくる悪役の名前が自分と同姓同名であれば文句を言いたくなる気持ちも解るけれど、悪役とすぐ判ってしまう名前ではドラマが成り立たない。時代劇に越後屋は不可欠ではあるけれど。


私が会社に入って3~4年が経った1975年頃、「リクルート」という就職希望の大学生に会社を紹介する雑誌があり、記事を書く為のインタビューを雑誌記者から受けるようにと社長から言われた。入社して数年経っており、私なりの会社への不満もあったので、当日記者の質問にそれとなく不満を匂わせた受け応えをしたのだが、後から会社紹介の記事を読んで、私の発言の趣旨が全く伝わっていなかったので驚いた。確かに私の発言した言葉が書いてあったのだが、ある事に対しての発言が別の事に発言したように書かれていたり、そういう意味にとられてしまったのか、と思う箇所も多かった。痛感したのは、記者にはあらかじめ記事をどうまとめるか?の意図があり、それを裏付ける発言が欲しかっただけなのだ。同じ言葉でも、編集次第でどうにでもなってしまう怖さを感じた。言い換えれば、ドキュメンタリーに出たつもりがドラマだったと後から気付いた感じ、とでも言えば良いのだろうか?会社の紹介記事も、面白くなければ誰も読んでは貰えないので、雑誌記者も必死だったのだろう。


さて、「ドキュメンタリーの虚実」の記事の内容だが”ドキュメンタリーとは虚構を用いずに実際の記録に基づいて作られたもの、である筈なのだが、実際にはより真実に迫る事が出来るのなら虚構も許される。過去の名作と言われたドキュメンタリーでも実際に行われていて、例えば「兵隊の進軍の様子を役者が再現する」「一家は様々な農家から選ばれた男女が演じる」「内容に合うように建物に手を加える」”だった。ドキュメンタリーなのであるから、観ている映像はすべて実写なので真実だ、と考えるのは大間違いなのだ。TVニュースなど、ドキュメンタリーの最たる物だと思うのだが、メディア側の意図によってどうにでも映像を切り貼り出来るので気を付けて観ていないと、ニュースを観ているつもりが実はドラマだったという事になりかねないので、フェークニュースになりかねない危険性がある。そして「登場する団体・人物などの名称はすべて実在のものです」なのだから余計に恐ろしい。それを承知で観ていても、やはり「ドラマより 奇々怪々な 森友学園」


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貴方が読まねば誰が読む [TV]

私のブログのキャッチコピーを考えて見たのだが、多分効果はあまり期待出来ない。これは昔、ある出張先の工場の壁に大きく書いてあったスローガンの「貴方がやらねば、誰がやる!」からパクリました。もっともこのスローガンは悪戯されていて「誰が」の「が」の濁音が削られていて「誰か」になっていたっけ。かなり前にNHKのTVで”懐かしいCM”をやっていたのだが、録画予約はしたもののそのままで昨日初めて観た。改めてキャッチコピーの威力を思い知らされ、コピーライターの本音も聞けて面白かった。



番組で”日本のコピーベスト500”という本を紹介しており、輝く第一位になったのは「おいしい生活」で作った人は糸井重里。西武百貨店のCMに使われたのだが、このコピーは1982年に作られておりイメージキャラクターの起用に際して映画監督のウディ・アレンに白羽の矢がたった。出演交渉は難航したのだが、当時セゾングループの総帥に君臨していた堤清二が、映画館での作品公開を条件に本人と直接交渉したところ見事快諾を得て実現した。現に2000年に彼の監督・脚本・主演で『おいしい生活(Small Time Crooks)』という犯罪喜劇映画を発表している。”Small Time Crooks”はチンピラ共の意味だろう。私は「これが一位なの?」と思ってしまう。私が糸井重里の中から選ぶなら「サラリーマンという仕事はありません」だろうか?この人の作ったファミコンゲーム「Mother 2」は面白かった。(3は面白く無かった)もう一人の天才は仲畑貴志で「みんな悩んで大きくなった」は野坂昭如のTVCMが懐かしい。サントリーのCMはどれも秀逸だと思う。サミー・デイヴィスJr.のホワイトのCMも彼の作なのだろうか?

堀井博次が作った”金鳥マット”のTVCM、掛布雅之と三遊亭圓丈の掛け合いが面白いが、「かっかっかっかっ掛布さん、蚊に効くものは何でしょう」の「かっかっかっ...」が吃音を助長するというクレームが寄せられ放送中止になったという。「タンスにゴン」も木野花、もたいまさこがトラックの荷台でミニスカートで連呼して町内を回るのだが、観ていたおばさんの「山田さんの奥さんも家を新築したので大変ねぇ」というセリフがNGになったという。家を新築した九州の山田さんの子供が学校で虐められたという理由からだ。CMは大変だなあと思う。



私が嫌いなTVCMのコピーは「40歳は2度目のハタチ」そういう年齢の数え方が嫌だ。左とん平の「葬儀費用に追加料金があったりして」も「死んだ人間がそこまで心配する必要があるのかな?」と思う。追加料金などが発生するとしたら、自分の遺体の焼き方を”ミディアム”ではなくて”ウェルダン”に変更した場合などではあるまいか?そんなに追加料金が心配なら”レア”で我慢して欲しい。それと「さようならが温かい」というけれど冷たいのだ。少なくとも「何時までも忘れない」ではあるまいか?次はヘーベルハウスのプロポーズしている男性が「君を守るのは僕じゃない。家なんだ!」というCM、「こんな奴のプロポーズなんて断れ!」と思う。もう一つは大和ハウスの「本当は天井が低い家に住たかった。又一つ嘘をついた」というCM「お前だけ犬小屋にでもいれば?」と言いたくなって来る。

最近のコピーには「素直じゃないなあ、昭和のコピーが良かったなあ」と感じてしまう。私が年老いたかもしれない。ところが、大阪の面白キャッチコピーで有名はになった「文の里商店街」のコピーを見て驚いた。「切り口に大量の塩を塗り込んでやった」は「いじめられた野菜は、うまい」の”元祖漬けもんや”のポスター。婦人服店のポスターは「似合ってなければ口には出さず顔に出しております」。素直なコピーが好きで「素直が一番」のコピーを思い付いたが、既にあって「くやしい生活」だが「まあ、いいか」。


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